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人と仕事のumisodachiのレビュー・感想・評価

人と仕事(2021年製作の映画)
3.3


コロナ禍の日本において、さまざまな仕事に従事する人々(エッセンシャルワーカーが中心)に志尊淳・有村架純がインタビューを行っていく様子をおさめたドキュメンタリー。予定されていた映画が緊急事態宣言によりクランクイン直前に中止になったため企画されたもの。監督は森ガキ侑大。


保育士、シングルマザー、児童相談所の職員、ホストクラブ経営者、養護施設の職員と子どもたち……いろいろな人々の声を奇をてらうことなく掬い上げ、志尊淳と有村架純が咀嚼していくという構成になっている。

志尊淳と有村架純のアウトプットにもレベルの差があって、自ら動画などで発信することを選んだ志尊淳と、あくまでも役者として一線引いた立場に留まることを選んだ有村架純。必然的に有村架純の方がより慎重に言葉を選ぶことになり、やや消極的な印象を受ける。しかし、志尊淳と有村架純が2人で対話するシーンで彼女の思索の深い部分が垣間見えることにより、あくまでもそれは彼女が考えた末の選択なのだということがわかる。

人々の話を聞けば聞くほど、彼らは「わからない」という思いに囚われていく。そりゃそうだ。数十分、数時間一緒にいただけで、すべてがわかるなんていうことはあり得ない。ただ、その現実を「頭でわかっている」ことと、話を聞いて「実感としてわかっている」ことの間には大きな隔たりがある。

コロナ禍でエンターテインメント業界にはかなりの逆風が吹いた。不要不急だと言われ、多くの作品が日の目を見ることなく消えていった。私もエンタメ業界に関わってきた人間なので、エンタメを「不要なもの」と切り捨てる姿勢には大きな反発を感じる。しかし、エッセンシャルワーカーたちの苦しみやもがきを聞いた志尊淳と有村架純が、自分たちの仕事を振り返って迷ってしまう様子はリアルだった。有村架純は「所詮、役者はどんなに頑張っても表面的な理解しかできないのではないか」というようなことを口にする。どんな境遇の人間を演じようと、どんな仕事を演じようと、それは「本物」ではないという事実にぶち当たったからこそ出てきた言葉なのだろう。

芝居の稽古をしていると、たまに「わかった風に演技をするな」と指摘される役者がいる。そういう役者というのは大抵器用で空気も読めて、そつなくこなすタイプだ。だから、表面的には上手く演じているように見える。でも、「あー、はいはいこういうことね」というノリで演じるのと、「わからない」ことを前提に苦しみ悩みながら演じるのはまったく違っていて、多くの場合前者は心に響かない。『人と仕事』はコロナ禍におけるさまざまな人々を追っている作品だが、それらが集中する場所として【役者】志尊淳と有村架純が設定されているのが良い。傍観者としてインタビューするだけではなく、不要不急とレッテルを貼られた職種の人間として、彼らが最終的に自分の【仕事】に悩み抜いて向き合うまでを描いているからこそ意味がある。

なお、ドキュメンタリー映画としては非常にオーソドックスな作り。小技を効かせているような要素はゼロに近い。しかし、コロナ禍の日本を切り取る上ではこの姿勢はむしろ誠実だと思うし、貴重な記録としての役割は十分に果たしている。

インタビュイーたちのコロナ禍や仕事観の解像度も個人差が大きく、ホストクラブの経営者など極めてレベルの高い話をする人間もいれば(個人としての実感と俯瞰的視点が両方備わっていて、自分の中である程度客観的な観測が出来上がっている)、素朴な所感に留まっている人もいる。こういったバラつきも、本作の制作がコロナの渦中だったということを示すものであり、後世において現在を振り返るときには重要なポイントになるのではないかと思う。

最後に。養護施設にいる少女(おそらく家庭内で虐待を受けていたと思われる)が、大人に対して「できるだけ自分の逃げ場をつくってほしい」と言ったのが非常に印象的だった。家庭内で逃げ場がなかったであろう少女が、自分を痛めつけた大人たちに対して「逃げ場をつくって」と言葉をかけられるって凄い。彼女の聡明で慈愛に満ちた眼差しが最後まで心に残った。




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