umisodachi

マッドマックス:フュリオサのumisodachiのレビュー・感想・評価

4.6


『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の前日譚。

バイカー集団に拉致された少女フュリオサは、故郷の情報を決して漏らさぬまま耐えていた。そしてイモータン・ジョーの手に渡り、そこから不屈の精神で生きる道を切り開いて行くが……。

シャーリーズ・セロンが演じたフュリオサの若き日をアニヤ・テイラー=ジョイが熱演。ほぼセリフがなく眼だけで語る女戦士は抜群の存在感。フュリオサが復讐を誓うバイカー集団のリーダー・ディメンタスには、フェミニズム映画におけるトキシックマスキュリニティキャラを演じさせたら右に出るものはいない(おそらくそういう役を進んで演じている)クリス・ヘムズワーズ。

章立てになっていて、『怒りのデスロード』よりもアクションシーンは少ない。フュリオサの人生を語っていくという筋書きなのでドラマ性の方が強い。ただ、3章はほとんど丸ごとアクションでかなり見ごたえがあるので、アクションについても私としては十分に満足できた。

本作を面白くしているのは、メインの敵役であるディメンタスのキャラクター造形。とても多面的でリアリティがある。オーストラリア訛りバリバリで語彙も少ないがチャーミングなカリスマ性があるディメンタスはノリと漢気(風なもの)でバイカー集団を率いている。バカではないのだが、イモータン・ジョーに出会ったときにその実力の限界が露呈するという展開。

根本が搾取によって成立しているので決して肯定できないが、バランス感覚に長けていて冷静な判断を下せるイモータン・ジョーは、明らかに統治能力がディメンタスよりも遥かに高い。よって、ディメンタスに心酔していた部下たちも次第に「うちのボス、ショボいしよく考えてないのでは?」ということに気づき始め、内部分裂が始まるのだ。ディメンタスの凋落が、戦闘能力ではなく政治手腕によるものだというのが興味深かった。

家族を失った過去を持つという点でフュリオサと共鳴もしているディメンタス。盛り上がりには欠けるかもしれないがその痛みがクローズアップされた対峙シーンも私は好きだった(ちょっと引っ張りすぎな気はしたが)。

また、物語上にけっこうな頻度でスキップ個所があるのも特徴的。逃げ出したフュリオサが捜索されるシーンや、ディメンタスが求心力を失うに至る過程、初めて彼女が「フュリオサ」と自称したであろうシーンなどが飛ばされている。かなり重要だと思われる展開もカットされているのだが、そのあたりは想像や推測で補完していく必要がある。そういった不完全性が、どこか福音書的というか、エピソードとエピソードを繋ぎ合わせた神話のような雰囲気を生み出しているといると感じた。

福音書に描かれているイエスは、エピソードによって優しかったり怖かったりいきなり激怒したりする。ハッキリ言って何を考えているのかわからない(ゲッセマネの祈りのシーンくらいでしか心情を吐露しないし)わけだが、本作のフュリオサも同じような印象を与えている。最終的に「これは伝承ですよ」ということを強調するナレーションも合まって、敢えての飛び飛びのエピソードの羅列が神秘性を高めていて、フュリオサが一種の信仰となって伝わっていったのかなということを想像させる。

そして、とにかく映像が美しい。もはや芸術と言ってもいいのでは?と思えるほどに全編が圧倒的な美!!ジョージ・ミラーの美的感覚に酔いしれることができるという点でもオススメ。子役の顔がCG処理によってアニャに似せられているということに賛否両論あるようだが、そんはアウトだったら特殊メイクとかも「どうなの?」ってことになっちゃうしなあ。難しいよね。
umisodachi

umisodachi