構成について語りたい。ミステリの枠組みを用いてさまざまな社会問題を折り込みながら、ミステリのセオリーに則ったストーリーテリングを逸脱することで、そこにたしかに存在したひとりの男の人生を描いた“構成”にこそ、本作の肝があると確信しているからだ。
本作を“ミステリ”として見ることで浮かび上がる構成上の特徴として、「死体が転がるのが遅すぎる」点が挙げられる。不慮の事故によって命を落とした男にまつわる“謎”が明らかになるまでの道筋をたどるミステリのセオリーに則るならば、当該の男の死からこの物語の幕を開けてもよいはずだ。
しかし本作は、男が死に至るまでの“人生のひととき”を丹念に描いていく。男が死して残した謎を解き明かしていく役割を担う弁護士の登場にも「ようやく」といった感慨が湧くが、それも当然。ラストにおいて男の妻(と便宜上呼ばせてもらう)から溢れた言葉にこそ、本作の意図が表れている。
この男を「“謎”という始点と“真実が明らかになる”という終点で結んだ物語」の単なる登場人物と“させない”こと。ミステリのストーリーテリングのセオリーの逸脱してでも(むしろ逸脱することで)、ひとりの男の人生が“在った”ことを強調すること。それこそが本作の意図であると考えた次第。
登場人物の描写についても少し。妻夫木聡さん演じる弁護士の所作で印象的だったのは、周囲の人間が発する差別の言葉や暴言に対して、それに反発する気持ちがありつつも、言葉にはせず、少し目線を落として苦笑いを浮かべているところ。それゆえに感情を発露する場面が非常に際立っていた。