ニジム

帰らない日曜日のニジムのレビュー・感想・評価

帰らない日曜日(2021年製作の映画)
4.0
「帰らない日曜日」は、イギリスの作家グレアム・スウィフト『マザリング・サンデー』が原作。3月の最後の日曜日は特別に使用人には休暇が与えられ、実家の母親の元へ帰り親孝行をする風習があった。しかし、孤児の主人公ジェーンには帰る家はなく、今回も屋敷近辺で過ごすつもりでいた当日の朝、隣の屋敷の跡取り息子ポールからの電話が入る。「11時に屋敷の正面玄関へ」と。間違い電話の小芝居をしたジェーンは主人たちの前では事もなげに応対していたが、心の中は期待でいっぱい。
ジェーンとポールはジェーンがこの屋敷に引き取られてからの付き合いで、いつの頃からか男女の関係になった。本を読んでいるときも妊娠の可能性が心配だったのだが、ポールの提案で「オランダ帽子」を入れており、「種が入り込まない」よう対策はしている。そんなポールは2週間後に結婚を控えており、おそらくこの日曜日が最後の逢瀬となる。タイトルの「帰らない日曜日」は、二度と戻ってくることが無いあの日、といった意味とともに、帰る家のないジェーンのあの日、というダブルミーニングにもなっている。
映画では二人の関係が「道ならぬ恋」と煽られているけど、小説を読んだ限りでは、そこまでの情熱は感じなかった。確かに長年の密接な関係があり、お互いうまは合うのだろう。でも、「お互いの相手ができるまで」ということになっている。それはお互いに代えがたい存在となっているだろうことは伺えるのだけれど。それでも、作品は原作を丁寧に読み解いて再構築したものだったと感じました。三家族の男の子たちの死。近所で付き合いのある三家族は、子供達の年齢が近いこともあり、一緒に過ごすことも多かったようだ。唯一の女の子だったエマは、ジェーンの仕えるニヴン家の一人息子と恋仲だったが彼は婚約もないまま戦地へ赴き、帰らぬ人となる。ポールの兄二人も同様で、息子のみならず近しい家族の男の子を次々と失ったことで、ニヴン夫人は喪失感による深い悲しみに囚われ続けているのだ。これは命もだけれど、貴族制度というものの終焉も重なっており、喪失が輻輳することになる。エマは、残された唯一の男の子ポールと結婚せざるを得なくなり(多分年下)、しかし彼の心が全く自分に向いてないことも感じていて、やり場のない怒りを胸に秘めている。小説ではエマは背景でしかなかった(ポールは「あれ」と呼んでいた)けれども、ここではひとりの女性として立っており、モードファッションに見を包むファッショニスタであることも見て取れる。彼女もまた選択できない人生に絶望しているのだ。それにしても、あの水辺で声をかけてきた若い男性(ホテルのレストランのフロア担当?)との関係は気になるな。彼女もポールと同じように秘めた関係を持っていたのだろうか。
遣る瀬ないけど、ジェーンはこの終焉があったからこそ、次のステップを踏めるのだよね。秩序の崩壊が次の価値観のスタートとなる。
少し時代は違うけれどもカズオ・イシグロの『日の名残』も似たようなことを描いていて、しかしあちらは主人公の執事も貴族制度と同じく過去の存在となりつつあったので、新しい時代に取り残されていく悲哀があったのだけれど、ジェーンはまだ二十代になったばかり。これだよな。言葉を獲得していく様がペンで書かれることで表現され、その後の作家としての礎が築かれていっただろうことが分かる。
その後のジェーンの人生は全てが順調だったわけではないけれども、自分の力で立っていることも描かれている。
あ、あと、ポールの屋敷のメイドのエセル。彼女も原作では融通の効かない堅物(でも、もしかしたら助けてもらったかもという含みも)みたいに描かれているのだけれど、映画では毅然とした美しさがあり、メイドという職業に誇りを持って生きている様が短いシーンの中でも感じられて、実によかった。彼女は多分、遅れてきた存在なんだろうな。
イギリスの田舎の風景や屋敷、当時のコスチュームなども見られてよかった。いわゆる黒いワンピースのお仕着せは畏まったディナーでしか着ていないのは印象的(普段はエプロンは付けているけど、普通の柄物のワンピース)。オープニング近くでポールと会う前にジェーンが部屋で丁寧に身体を拭く様子もよかった。好きな彼との最後に会う機会になるかも知れないこの日。清潔にしておきたいものね。ポールの部屋にはバスルームがあるけど、一介のメイドがシャワーを使える機会なんてそうそう無かったんだろうな。
細々と、映像だからこそ気づく点もあって、観ることができてよかった。映画だけ観て原作未読の方は、読んでみるといいですよ。
ニジム

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