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叫びとささやきの記録のレビュー・感想・評価

叫びとささやき(1972年製作の映画)
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ブレッソンはその著書の中で「『東京上空30秒』という古い映画のことを覚えている。何事も起こらない素晴らしい30秒間、生は中断され宙に浮いていた。現実にはそこであらゆることが起こっていたのだ」ということをあ言っている。私にはこの事がまさに「叫びとささやき」の中に写り込んだ言語化し難いパセティックな感覚を的確に言い表しているように思えるのだ。
冒頭、真っ先に飛び込んでくるのは強烈な赤の印象と表面的な金属の反響音である。この時計の表面的な金属音は後に映画に度々登場する事となる「顔」との暗喩的な対比になっている。そしてこの映画においては「顔」に現れるリアクションが出来事を導いていく、もしくは彼らに導線を与えることとなる。一つの「顔」の中に叫びと囁きが蠢き、時に調和し、時に破裂して外にあぶれてしまう。「顔」が一つの言語を獲得し昂然と私たちに訴えかけてくる。
印象に残ったシーンは3つ。一つ目は冒頭、アンナが自室で死んだ娘に祈りを捧げるシーン。ほんの少しの俯瞰ショットでアンナの横顔を捉えているが、彼女が祈りの後に果物をかじった瞬間に「ああ、こいつはこの祈りが当たり前になってしまったんだな」と思わせる演出が凄まじい。行き場のない愛情をあそこまで軽やかに、さりげなく映しとる感覚。
二つ目は今まさにアグネスが死に、生が死へと置き換えられるシーン。アグネスを覆う布団をめくり上げた瞬間に現れる生々しいまでに生の残像をこびりつかせた足が正しい死の形へと整えられていく。
三つ目はカーリンのうちに芽生える女性的なものへの猥雑な欲望を示すシーン。鏡を介して向き合うカーリンとアンナのうちに芽生える不純な感情をアンナは泣きながら怯えるように謝罪し、カーリンは男性的極まりない割れたグラスを自らの欲望を殺すように性器に埋め、夫を誘惑する。ベルイマンの映画で女性の裸を見た記憶があまりないのだが、ここまで女性の裸を巧みに演出できるとは。
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