こーひー

ホーンテッドマンションのこーひーのネタバレレビュー・内容・結末

ホーンテッドマンション(2023年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

おもしろい!
今年のディズニー映画の中で一番好き

ホーンテッド・マンションのBGSはそこそこ知ってたから知ってる名前出たらテンション上がったし、アトラクションの要素もしっかりあって楽しめた

脚本が少し散らかってる感は否めないし、上映時間はもう少し短めにしたらもっとヒットした気がする
あと幽霊たちがコスプレなんよ笑

全体的には十分楽しめた!!

やっぱりBGS知らない映画ガチ勢にとってはいい映画とは言えないんだろうなぁ
まぁでも製作費1.5億ドルは流石にかけすぎ
マリオ並みに大ヒットする自信があればいいけど高すぎだよ
もう少し抑えればヒットしただろうに…
いい映画だと思ったからこそそこは残念

本作のテーマは「愛する者の死を受け入れること」だが、それは同時に「死の身近さと不可避性を自覚し、受け入れること」でもある。主人公のベンは愛する妻を不慮の事故で亡くし、悲嘆に暮れていた。そして館に引っ越してきたギャビーとトラビス親子は夫であり父でもある存在を失っていた。大学の歴史学の教授であるブルースに至っては心臓に持病があり、自らの死を確実に自覚しているだろう。霊媒師のハリエットは普段から死者と繋がっているからもはや死を誰よりも普遍的なものと認識しているだろう。ほとんどの登場人物が死に深く関わったことがあるため、悲しみも同時に抱えている。
 ピクサー作品の『リメンバー・ミー』や『ソウルフル・ワールド』など、ディズニーは生と死をテーマとすることが増えた。『リメンバー・ミー』と『ホーンテッド・マンション』のような死を扱っている二作品に共通していることは生者と死者の「つながり」の強調である。『リメンバー・ミー』では主人公・ミゲルの曽祖母であるココの記憶からココの父親であるヘクターの記憶が消えてしまうのを防ぐ使命をミゲルは担った。『ホーンテッド・マンション』では霊媒師の儀式や取り憑きなど、生と死の「つながり」をこれでもかと強調している。また死を直接扱っているわけではないものの『ソウルフル・ワールド』においてはこれから生まれる魂と生涯を終えた魂が同じ管轄者(ジェリー)によって管理されていた。本来、死は忌むべき存在であり、ディズニー映画でも死は悲しみとして描かれてきた。そもそもディズニーはあまり死を描いていないが、これも死を遠ざけているということになる。死を描いていないとは言っても一部のキャラクターの死は描かれる。主にヴィランズの死である。ヴィランズは主人公やその愛する者にとっての脅威であり、遠ざけるべき存在である。遠ざけるべき存在であるという点で死と重なることから、ヴィランズを死へと向かわせる展開を昔からディズニーは描いてきた。しかし、近年のディズニーは生と死をコインの裏表のような関係として描いている。現代の人々は戦争や疫病などで愛する者の命を失った経験を通してきた。死をより身近に感じる時代なのだ。そのような時代でより豊かに生きるためにはどうすればよいのだろうか。その答えは「愛する者、そして己自身の有限性を覚悟すること」だと思う。『ホーンテッド・マンション』において、トラビスが父親に会いたいという想いを持っていることを利用され、父親の声を真似るハットボックス・ゴーストに導かれるがままに自分も死の世界へ行こうとする。それを止めたのはベンだった。妻を失い、誰よりも死者に会いたいはずのベンが止めたのだ。それはトラビスを息子のように思い始めていたからというのも理由の一つだろう。だが、最大の理由は妻の死を超克したからなのではないか。自分が愛した者がいつか突然死んでしまうかもしれない。それでも愛する覚悟を持つことで、死を悲嘆せずに済む。悲嘆しなければ死者に会いたいと思うこともなくなる。ここで注意しておきたいのは『リメンバー・ミー』のように生者の世界と死者の世界が、さながらMCUマルチバースのインカージョンのように干渉し合うことを否定しているという点だ。これは『ソウルフル・ワールド』でジェリーが生者(肉体を得た魂)の世界に降り立つ際、別のジェリーに「見られるな」と警告されていることからも伺える。「つながり」の度合いが重視されているのだ。
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