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珈琲時光のALABAMAのネタバレレビュー・内容・結末

珈琲時光(2003年製作の映画)
2.8

このレビューはネタバレを含みます

松竹映画。侯孝賢監督、小津安二郎生誕100年記念作品。仕事で侯監督に関して触れる機会があるが、恥ずかしながら観た事がなかったため勉強のために観た。
台湾に自身のルーツがある井上陽子はフリーライター。最近は専ら台湾の音楽家、江文也についての記事執筆に追われている。何気ない日常のちょっとした、しかし当事者達にとっては大きなドラマ。陽子は妊娠していた。父親なしで育てようと彼女は決意していた。生命を宿した事によってちょっと崩れる人間関係。心の微妙な変化が映画を通して穏やかに浮かび上がる。人が忙しなく行き交う現代で、ふと立ち止まって空や地や人を穏やかに、静かに見つめる侯監督のスタンスには非常に好感を持つ。
本作は小津安二郎監督の代表作のひとつである『東京物語』のオマージュという形で製作された作品でキャストは日本・東京を舞台にしている。『東京物語』と共通して家族という共同体が持つある種の冷たさ、暖かさのようなものを描いているが、一歩踏み込み、ここではあらゆる「交わり」も主題として取り上げられている。交わりの表象として電車の存在、ここでは電車は非常に官能的に、神秘的に取り上げられている。一青窈演じる陽子が乗る電車と浅野忠信演じる肇が乗る電車が近づいたり、離れたりを繰り返しながら駅というある点で交わる。また、劇中で肇が描いた電車と胎児(自分)をモチーフにしたデザイン画もそのひとつと言える。小津監督が家族という共同体を大枠としてその営みを緻密な構成の元、「描いた」のに対して、侯監督は恰もカメラの前で本当に生きているかのように、人と人との営み、交わりを「写して」いる。オマージュとは言いながらも演出としてはだいぶ違った装いをしていることが分かる。『珈琲時光』の人間達はフレームの中で生きている。ただし、非常に自然に近い営みがそこには観られるが、カメラが介入しているという大きな事柄を伏せていることでフィクションとしての不自然さは保ったままである。
歓迎されるべき生命の誕生に人は将来を案じ、肩を落とす。人の情の紙風船の如き儚さ。
こういう作品を松竹がやっていたことを実は知らなかったし、驚きであった。興行的に成功するタイプかと問われれば、確実に否である。出演者の中には蓮實重彦、衣装に山田洋次の名前が確認出来た。侯孝賢という男、非常に興味深いのでもっともっと観たいと思う。
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