[ギニアビサウ、魂の宿る木を巡る寓話] 90点
大傑作。カンヌ映画祭コンペ部門に選出された数少ないギニアビサウ映画の一つ。監督フローラ・ゴメスはギニアビサウを代表する映画監督の一人である。1949年に文盲の両親の下に生まれた彼は、アントニオ・サラザールによるポルトガルの植民地体制に強く反発していた。1972年にキューバにある映画芸術産業研究所へ渡ってサンティアゴ・アルバレスの下で映画製作の勉強を始め、翌年に故国が独立したため帰国する。彼はそこで独立記念式典を撮影するなどの活躍を見せた他、植民地から解放された当地を訪れた他国の映画製作者などのサポートをすることで、自身の技術を向上させていった。何本か同時代のギニアビサウを描いたドキュメンタリーを製作した後、1988年に初の長編作品『Those Whom Death Refused (Mortu Nega)』を完成させた。同作はいくつかの国際映画祭で上映され、特にフランスでの評価が高かったことから、次作『The Blue Eyes of Yonta (Udju Azul di Yonta)』(1992)はカンヌ映画祭"ある視点"部門に、その次の作品『Tree of Blood (Po di sangui)』(1996)はカンヌ映画祭のコンペティション部門にそれぞれ選出された。
森の中にある村 Amanha Lundju にはある風習がある。子供が生まれたら近くに木を植えて、やがてそれが分身となるというものだ。双子のアミとドゥもその伝統に従って、二本の木を同時に植えた。時は経ち、アミは妻と幼い娘を残して亡くなり、村から離れていた弟ドゥは久々に帰省する。奇妙なのはおおよそ半分くらいの村人が彼のことをアミと間違え(娘や母親も含まれる)、彼の死を認めないことだろう。それは(恐らく)木が生きているからであり、本来は一人っ子のアミドゥとして生まれるはずが、双子だったので名前を半分に分けたというくらいなので、ドゥはアミを亡くしてアミドゥになったというのが近いのかもしれない。
村には魔術師のカラカラドゥという老人がいて、初登場時には村で起こっていた火事を一瞬で消し去るなどの能力を披露していた。彼の存在はファンタジックで観念的な物語を裏打ちし、監督が参考にしたというスレイマン・シセ作品の特に『ひかり』と直接的に連結させる役割を持っている。後半の出エジプト記のような放浪と真っ白な砂漠の風景、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』ばりの帰還もまた、『ひかり』のような神話的原風景として捉えられていて、両者の近さが分かる。
木は村の人々にとって自身の分身であり、枯れた先祖の木々から栄養を吸って生き続けるという点でも人間と共通している。しかし、彼らの村に森林伐採の魔の手が忍び寄ってくる(先祖代々の村をダムに沈められそうになるというレソト映画『This Is Not a Burial, It's a Resurrection』を思い出した)。伝統を取って戦うか、伝統を捨てて村を出るか、ギニアビサウそのものを風刺した寓話の中で、現実と神話がファンタジックに接合された怪作である。