劇場でノーランの映画を鑑賞するのは『ダークナイト ライジング』ぶり。だからもう10年以上間隔が開いていたことになるだろうか。
観ている間幾つもの主観にあてられて頭がおかしくなりそうだった。
オッペンハイマー、ストローズ、そして日本人だけに与えられた苦悩。映画とはよく出来たもので幾ら被爆国の出身だと言っても、その主観を描かれると彼らにも感情移入をせざるを得なくなってくる。
特に苦しかった点はトルーマンとオッペンハイマーのシーン。
オッペンハイマーは戦争を終わらせた、という事実をある意味で心の支えにしていたのではないかと考えている。逆にそうとも思わなければただの大量殺戮兵器の開発者である訳で。
そこに槍を刺す様にトルーマンが「誰もお前のことなど気にしていない」。
これ程心を折る言葉は無かったのではないだろうか。
良くも悪くもノーランはヒューマンドラマを彼の腕で描いているだけで、あくまで原爆やスパイ嫌疑は舞台装置以上の存在ではない様に思う。
しかしながら広島長崎の惨状を描いていないと前評判では散々目にしたものの印象は真逆。視覚、何より音響での描かない描き方は、正直2024年アカデミー音響賞のジョナサングレイザー『関心領域』さえ超えていた様に思う。
僕はトリニティ実験成功〜原爆投下の場面では涙が溢れてしまったし、やはり日本人として記憶し続けることは何より重要だと改めて思う。