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オッペンハイマーの小屋のレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.3
 公開前から色々あった本作だがまず一言、面白かった!映像は言わずもがな、演出や脚本も素晴らしかった。だけど、ムズイ、わかりづらい、置いてかれる!事前情報はほぼ調べていない(予告だけの)状態で見に行ったが、想像以上に構成が難しく最初のオッペンハイマーの取り調べのシーンが中盤あたりまで一体なんなのかわからず見ていた。ノーランの作品にありがちな時間のシャッフルは予想していたが、今まで以上にわかりづらかったと思う。他の人も言っているけど、予習をしておいた方が良かったように感じる。
 あと見づらかった点として、作品のテンポが早いところがあると思う。3時間の映画(しかもほぼ会話劇)だったが、2時間くらいにしか感じなかった。難しい用語や政治的な立場からの含みのある発言も多いけど考えている暇がないし、登場人物もとても多いから関係を整理するのが大変。と思ったら数シーンしか登場しない人物が結構映画全体で重要な役割だったり、とにかく気合を入れてみないと見逃してしまう作品だった。そんな作品をこんだけのめり込ませて眠くさせないで見せてくれるのは、やっぱりすげえなノーラン!(…か、imaxの爆音のおかげ)
 あと個人的にだけど、IMAXで見て良かったと思う。あの大画面での爆発のシーン、やっぱり感動した。

※以下ネタバレ※

 とまあここまであんまり肯定的な意見ではなかったけど、映像の構成はめちゃくちゃ良かったと思っていて、構成で魅せるエンターテイメントができていたと思う。具体的にいうと、映画序盤から走らせている三つの時間軸(1:オッペンハイマーが追求される2:ロバート・ダウニー・Jrの経済大臣かなんかが公聴会に出る3:オッペンハイマーの過去がストレートに進む)がラストでカタルシスとなる点。この三つの時間軸で、オッペンハイマーが不利になっていく過程を描いているが、映画終盤でフレディマーキュリー演じてた人(レミなんたらって人だと思う…)が質問に答えるシーンで一気に形成が逆転する。その場面とそれに続くシーンで、ライバルを倒したということがわかる。これはインセプションでやっていた夢の中の夢の中の夢の中の……ってやつに近いけど、アクションの視覚的な説明に頼らないでそれをやるのは挑戦だと思う。
 さらにこの映画のすごいところは、そんな構成を、綺麗事として終わらせない点。名誉を地に落とされ、辛く長い過程を経たあとにオッペンハイマーは地位を回復するが、その映像の後奥さんは冷たく「厳しく追求されたとしたとしても、それであなたの行為が許されると思っているの?」と言い放つ。これだけ犠牲を払って、地位を回復したが、その先に待っていたのは自分に潜む、悪夢のような罪悪感。それが示唆されるアインシュタインとの会話シーンで映画は終わる。見事としか言いようがない。
 俳優陣の演技に代表される、演出の数々もこの作品の見どころ。とくにオッペンハイマーにフォーカスして説明すると、オッペンハイマーは全然英雄として描かれていなく、むしろそんないい奴ではない。結構女遊びするし、性格も未熟な部分が目立つ上に、野心家で強引な部分も見え隠れする。これは個人的な考えだけど、この作品の“政治に利用される、好奇心を抑えられなかった天才科学者”と言った部分はミスリードとまではいかないけど表面的な演出で、むしろ好奇心だけではなく“私利や私欲を持った汚い人間”としてオッペンハイマーを描いている点がめちゃくちゃいいポイントだと思う。
 だからこそ僕は原爆は使うべきではなかった、と確信して言える。作るべき理由はたくさんあったのかもしれない。それはナチスとの競争、ソ連との対立、2年と何億ドルもかけた予算、日本の本土決戦の前のポツダム宣言受諾、世界平和、アメリカ中の青年たちが戦場から家に帰るため、そして、好奇心も。オッペンハイマーに限らず、“力”に取り憑かれてしまった人々は逆らいようのない時代のうねりによって、“だれか”がそれを作らなければならかった(それがナチスでも)。だが、使うべきではなかった。それは広島や長崎のためだけではなく、世界が滅亡してしまうほどの力を人類が手にしてしまった瞬間なのだから。その瞬間に世界は永遠に変わってしまった。そしてオッペンハイマーの不幸は、自身の人生の最高到達点として、原子爆弾の製造があったことだと思う。それは机上の理論家で夢に怯える夢想家だったオッペンハイマーが、現実の強大な“力”を手に入れてた瞬間でもあったのだから。
 そのことに対する後悔と恐怖を描いているからこそ、この作品が「日本のことを描いていない」とは思わない。実験の成功や、原爆の投下に喜ぶ市民たちを見て、日本人として複雑な心境になるのは当然のことだ。だけどむしろ、この作品はオッペンハイマーの一人称をなぞることによって、原爆の凄さ、力を感じてしまっていることを問いかける。自分の中に、世界を滅亡させる力のある兵器に感動してしまってる自分、がいることに気づくのだ。“自分が「こちら側」だったら、果たして熱狂しないでいられただろうか”と。
 思えば日本人も、真珠湾攻撃の成果に熱狂した。バターン死の行進や、重慶爆撃、南京大虐殺は、完全に嘘だと言い放つ人もいる。でもこの映画を見て思う。…オッペンハイマーと同じく僕たち日本人も、かつては“こちら側”だったんじゃないのだろうか?
 でも、だからこそ、もう2度と原爆は使ってはいけないし、核のない世界を目指さなければならない。戦後のオッペンハイマーと同じように。この映画は完璧な反戦映画だ。見づらい部分がある作品だと思うが、見る価値のある作品だと思う。
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