さーやorべりす

ヨナグニ~旅立ちの島~のさーやorべりすのレビュー・感想・評価

ヨナグニ~旅立ちの島~(2021年製作の映画)
3.1
沖縄、与那国。
島に高校がなく15歳で親元、地元を離れる話なんだけど、意外と身近に多い。
島だと隠岐の島出身で高校から本土に出ていて寮に入ってたり、
鹿児島の聞いたことない島の出身の子が学校がなかったと東京に出てきてたり、
実は島ではなく京都の山奥でも、中学高校がないからと大阪に出た子もいた。
私的には未だに「高校になんて行かなくていい!」的なことで地元に残る選択肢しかない子が出てこないだけでも理解力のある島だと思ったし、みんながこのドキュメンタリーに協力的なのが内向的な村社会みたいな感じではない気がしてた。
この事よりはメインの「与那国語がなくなる」事に注視したかった。
私の中でこの高校のくだりがあるあるに見えてしまった為に途中まで与那国語というものも「方言が無くなる」くらいの気持ちで見てしまって、そういや
方言理解できない、または理解できても話したりはしない
なんてことはどこでも起きてることなのかなと軽い気持ちで見てしまった。
この「方言がなくなるくらいの(軽い)気持ち」っていう捉え方、私だけが(個人的感覚)軽く感じているということが最終的にわかるのですが。見ていたときはこうだったのです…

学生のときに「昔はテレビも地元テレビがしっかりしていた。未だにしっかりしているところは方言が消えにくい」みたいな授業があった。
例えば大阪。
関西は地方都市だが大阪は大阪で系列になっているとはいえいわゆる「ローカルテレビ」的な枠組みではなくABCテレビだとかよみうりテレビだとかあるから、ローカルテレビという枠組みではないよね。
そういうのがあるところの方言は残り続けるが他の場所だと結局みんなが全国放送という「東京基準の標準語テレビ」を見ることにより家庭でも祖父母の言葉より標準語を理解できる、標準語の方が身近になっていっているのではないのかと。
(江戸弁とかの問題は別)
今はYouTubeやTik Tokの時代でもあり、方言を売りにするのもあるが確かに未だに「関西弁」は誰もが理解できていて強いと思う。なので沖縄弁は残るけど与那国語は残らないみたいな感じで観ていて、関西弁はあるけど〇〇県のこの集落の言葉はもうないよね、とかはあるかもしれないなと。そういうふうに見てた。
沖縄もローカルテレビ、ましてや離島だしなぁと思いつつ見ていたから。どちらかというと沖縄の人は沖縄の方言みたいなのは強い印象があったし毛色が違う気もしてたかもしれない。

が、方言という言い方じゃなく「与那国語 」
ましてや終わってからの舞台挨拶で
「全世界には7000語の言語があるとされていて今世紀でそれが半分になると言われている。また、それも90%は第一言語として使われていない」
みたいな説明が入り更に
「日本では一番はアイヌ語が絶滅しそうだ(極めて深刻レベル)が他に絶滅してしまうのでは?と言われているのはこの与那国語などもある」
とあげていったので、方言とは違うんじゃ!?
とか思って聞いてたけど調べてみると言語と方言は区別せず、方言もまとめて言語ととすると定義づけられた発表(ユネスコ)だそうなので、方言も一緒なの?とちょっとわけわからなくなってきたけど、
方言はいずれなくなると習っていた為か方言がなくなることを軽く感じていたというか当たり前に起こることだという自分がいたのだと思う。

また、中国人の子が中国語の方言はきつすぎて何言ってるかよその場所はわからないから大学は共通語が英語で全部授業が行われるし友達とも英語を使う。
日本に移住していたため「なんて日本の義務教育は世界的にヤバイことなのか、中国に戻って大学でこんなに日本の教育レベルが低くて苦労するとは…インターナショナル・スクールに行かなかったことを悔やんでいる」と嘆いていたのでどちらかというと英語を話せないコンプ、義務教育のが今後問題があるのでは?くらいしか思っていなかったのかもしれない。

長くなったけどこの映画を見たことによって「方言がなくなるくらいのこと」という意識が変わったことが一番の収穫だった。

言語が消えることはそこに根付く宗教や文化まで消滅してしまうこと、
それを危惧して撮影されたのだということがわかったし、
それを危惧する人が増える事によって何か変わるのかもしれない。