ケンヤム

カッコーの巣の上でのケンヤムのレビュー・感想・評価

カッコーの巣の上で(1975年製作の映画)
4.0
権力による抑圧からの脱却。

精神病院の中の構図には、なぜか既視感があった。
婦長による管理された生活。
狂人というレッテルを貼られた主人公。
ミーティングでは、婦長は巧みに患者同士を争わせ分断させる。

私たちの暮らしている、国家の統治形態と一緒ではないかと、見終わったあと思った。

「覚醒」を「狂気」と捉えることで、民衆を抑圧する権力者たちは罪悪感を軽減させる。

民衆には劣等感を植え付け、無知であることに気づかせない。

そして、民衆同士が足を引っ張り合う。「そんなことできないよ。」「夢なんて持つなよ。叶わないよ。」

あの精神病院は、私たちの生きる社会そのものだ。

抑圧から脱却しようとした主人公は、ロボトミー手術によって廃人となった。
ロボトミー手術は、戦争だ。
人々の思考と行動を奪うという意味で、戦争だ。

それでも、抑圧からは脱却しなければいけないのだ。
人間として、生きていくためには怖いかも知れないけれど、そうするしかない。

自分を抑圧しているのは、権力ではなく、無知である自分自身なのかもしれない。

本当の狂人は誰だ?
こんな社会の中で生きていて、狂わずにいられる私たちは、本当に正常と言えるのだろうか。
根本から疑ったほうがいい。
正常とはなんなのか。
狂気とはなんなのか。
そもそも、この社会に「正しい」ことなんてあるのか。

この映画を精神病院の狂った奴らの話だと、捉えることは、この映画をバカにすることと同じだと思う。
私たちも、この映画に出てくる患者たちのように、抑圧されていることに気づいていないだけなのかもしれない。
それを、この映画の主人公は伝えたかったのだと思う。

「無知な自分自身からの脱却を!この世界には、楽しいことがいっぱいあるぞ!怖がるな!グズグズするな!」

こんなメッセージを受け取ったと考える私は、この映画を深読みしすぎているのだろうか。笑
ケンヤム

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