戯曲的という批判(?)もあるけど、
こういう閉ざされたシチュエーションなんだし、
彼女たちが「話す」ことが一番のモーション(動作)なわけだし、
話すってことは、「考える」「考えを持つ」ってことで、
それは厳格なキリスト教徒である彼女らにとっては禁忌に近いことだったわけで。
話すってことはとてもエモーションなことなはず。
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「2005年から2009年にボリビアで起きた実際の事件を元に描かれている」っていう説明を何度読んでも、
どうしても映像を見ると少なくとも1800年代くらいに見えちゃう。。
映像というよりは、
女性たちが学校に通わせてもらえないとか、
地球儀も見せてもらえないとか、
文字の読み書きができないとか、
性の話ができないとか、
男に隷従しているなどの描写が到底2000年代の話に思えない。。
キリスト教の一派「メノナイト」のボリビアのコミューンでの事件なので相当特殊ではあるけど、
上記の女性差別に関しては、一般社会でもまるっきりありえない昔の差別の話って感じもしないのも事実ですよね。
この映画の製作者であるフランシス・マクドーマンドもそのように考えたことでしょう。
(メノナイトでも都市部で一般的なレベルでの質素な暮らしをしている人も多いとのこと)
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「なんでそんなこと言うの?まるで私に選択肢があったかのように!」
「全能の神だというなら何で子供と女性を助けないの?
自分の子供や他の子供達を守るために邪悪な者を殺すことが罪だというなら私はこの命をかけてでも神に抗議する。」
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以下、衝撃が過ぎるので読まな方がいい場合もあるかと思います
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2010年。
自給自足で生活するあるキリスト教一派の村で、
少女に家畜用の睡眠薬で眠っているところをレイプすることが日常になっていた。妊娠することもあった。
知識のない少女たちは自分が何をされたのかもわからないし、
男たちには「嘘」もしくは「悪魔の仕業」だとされた。
しかも薄々勘づいていた大人の女性たちは自分たちも被害を受けつつ全体のために黙ってきたことから、少女たちを黙らせてきた。
しかしある時、
眠らされていたある少女が目覚めてレイプ犯を見て、今までの犯行(レイプ犯は何人もいる)を隠せなくなり、
男たちは村から一時的に追放される。
男たちと闘うか
女たちが去るか
赦すか。
彼女たちはそれをひたすら話し合う。
でも十分な時間はない。
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「女性は考えることを許される。
女の子は学校で読み書きを習う。
学校には世界地図を掲示して自分がいるところがわかるようにする」
「自分を疑うよう仕向けられた。それが一番辛かった」
「全能の神だというなら何で子供と女性を助けないの?」
「私は地獄に堕ちてもいい。男が私の4歳の娘の体で欲望を果たそうとするならその前にその男を殺す。」
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ネタバレはコメント欄に。