シビュラシステム(生権力的なもの)の下での「法の廃止」っていう設定が、ちょい浅い。というのも、18世紀以降の規律権力においてさえ、「法は道徳化」している、あるいは「ノルムが法を凌駕する」と言われ、法は>>続きを読む
(原作は未読)
重要なのは「あるべき場所」
それまでのTV版では、炭治郎が鬼を殺す(成仏させる)ときに、鬼は記憶の中の「あるべき場所」、つまり人間として幸せだった瞬間を思い浮かべる。それは人間らしさ>>続きを読む
実在の連続殺人鬼の話。
実母が浮気相手との性行為を少年のヘンリーに見せつけるという虐待から、ヘンリーは実母を殺害し、連続殺人鬼へ。
殺人は快楽ではなく、母への復讐の代替である。レイプではなく、この>>続きを読む
前作の『君の名は。』と物語の構造的には変化がない。
①不可思議な現象の発生(入替わり/晴れ)と2人の運命的な出会い。②それが別の運命につながっている(隕石/人柱)。③その運命に抗うために冒険が始まる。>>続きを読む
メアリーを産んで亡くなった母親の影が彼女の原動力である。母、メアリー・ウルストンクラフトはルソーの『エミール』での女性蔑視に抗議した人物であり、先駆的なフェミニストであった。
自由恋愛とはいえ、女性>>続きを読む
白人男性・退役軍人・園芸農家の主人公。頑固で時代遅れ、極めて父権的な男性。そしてメキシコ系移民を雇っている。プロテスタント。ステレオタイプなワスプ。
その主人公が、メキシコ系ギャングに運び屋として雇>>続きを読む
ミッション・インポッシブルになってて残念。
家父長・男性中心的な思考に対する復讐がシリーズの重要ポイントだったはずなのに、家長亡き後にその亡霊に苦しめられるって設定で、家長を神(悪魔)にしてしまって>>続きを読む
稽古から本番への流れと、その流れがスムーズに流れない感じがよかった。問題が起きた個人にとっては大変なことだけど、バレエ団にとっては修復可能な問題が次々に起こる。パッチワークのように補修しながら完成する>>続きを読む
済州島出身の在日1世のお母さんを通じて、家族の歴史を描くドキュメンタリー。
戦後日本をどう生きてきたかはすごくよく描けていた。
ただ家父長的なものへの関心が、息子にも監督にもないのが、観ていて辛か>>続きを読む
こんな皮肉のきいたハッピー・エンディングはなかなかない。
出来事と出来事の関係をどう繋いでいくのか、物語の決定権は試写室のなかに、オフィスの電話にやどる。決して脚本家にあるわけではない。したがって映>>続きを読む
検察あがりのFBI警官が、世の中にはもっと虐待されても犯罪者にならない奴もいるのに!っていったことが、犯人の思考の中にはいることで否定されていくのがよかった。
これはソーシャルワーカーの映画だよ。一>>続きを読む
貧富の差を克服するのが、学問であり「試験」という平等な指標による格差是正である(理想的には)。
しかし現実は貧富の差につけこんで富者が金で点数を貧者から買うわけだ。ここに二重性がある。報酬により一時>>続きを読む
デル・トロの役が全然かっこよく描かれていないのがよい。それは暴力による復讐に、つまり敵と似るから。
国境というボーダーラインと、勧善懲悪のボーダーラインのあいだでの揺れ動きがこの映画のミソ。
生きよ>>続きを読む
福島原発の核廃棄物処理の現在だ。
シヴィラによる人間の断片化が、廃棄物処理に向かってどういんされる。いまやってること。
傑作。
跡目を継ぐための釜(盃)をめぐるドタバタが、炊出しの大釜にまで波及する。一方は皆で杯を交わすことで暴力の象徴の下に団結するわけだが、他方は皆で食べることで平等性のもとに団結するわけだ。暴力の>>続きを読む
辺野古の新基地が、100年後に日本軍の基地になってるって、あながち間違ってない未来予想図な気がする。(批判的な意味で)
そこにあるのは使い捨てられる兵士と、隔離された「平和」ってのが悲しい。でも日本>>続きを読む
いわゆる「両論併記」への批判。
権力の非対称性を糊塗してしまうことが、どんな結末を産むのかを現実が示してしまった(ラストシーン)という意味では、悲しいしけれど、それを伝えなければならない。
映画の中>>続きを読む
ひとりの時は言葉がでてくるのに、他人がいると口下手で、兄からもボキャ貧をなじられる。
そしていざ会話をしようとすると、米軍機の爆音が遮る。
彼女が人前での歌を取り戻すのは、野宿者が奏でる爆音のメロ>>続きを読む
人道的介入の皮肉を描いている。
国連軍の規律と、現地生活との乖離。
人道支援と軍事的介入の不可分性。
誰かのために為すことが、その人のいまの必要性とは結びつかない。切れてしまう、切られてしまう、手に>>続きを読む
冷戦末期における、裏のスパイたちの熱戦。ゆえに主人公は、カラダを冷やす必要があるわけよ。あれは冷戦と熱戦の意味だろう。
この映画で重要なのは、女スパイのステレオタイプであるハニートラップではなく、あ>>続きを読む
1年たち、1927年のヨーロッパ。
前年末にオーストリア生まれのアドルフ・ヒトラーが『我が闘争』の下巻を出版している。米国が参戦して決した第一次大戦後の疲弊の中で、人種差別をテコに台頭する独裁者と全体>>続きを読む
舞台は1926年のNY。ヨーロッパとアジアからの移民制限を行ない、エリス島で優生学検査をしていたような時代。
ヨーロッパから悪意ある魔法使いが侵入するわけだ。そして人間(ノーマジ)の世界でも異質なも>>続きを読む
男が女を犯し、男が女の仇をとる映画なので、映画が自体が女性の主体性を奪う構造になっていて、それはレイプの構造と同じになってしまう。よくない。
よくないのだけれども、最後のテロップが衝撃的だった。ネイ>>続きを読む
ケネス・ブラナーって、あからさまに「作り物」感をだすよね。ディズニーだしね。それがよかった。
ガラスの靴は、魔法で何かを変換したのではなく、魔法でいちから作り出したものなのね。だから消えないと。>>続きを読む
傑作やん。
殺人は主に自宅で肉親同士ってのが統計的にもっとも多い。しかも親が子供を殺すことの方が多い。
近代の家族が、家父長的関係を持ちつつ、愛情を中心とした夫婦・親子愛に移行したにもかかわらず、>>続きを読む
最終的に武器を持たない無実の家族を全員殺してしまう。そして、彼らの名が刻まれる。最後は遠距離と俯瞰ではなく、至近距離と主眼によって。
ベルルスコーニ政権末期、政権が崩壊する直前にカジノ法案を通す。その裏にはマフィアの利権が絡んでいた。
そこにあるのは「男」であることを、金と暴力と権力と性的なもので表象しようとするオッサンたちの欲望>>続きを読む
ロビイストである女性の成功物語ではあるのだが、アメリカが抱える頻発する銃乱射事件の話でもある。
規制はなぜ進まないのか。規制するためには「激震」が必要なのかもしれない。しかしその激震はロビイストと議>>続きを読む
主人公の女性の傷の回復具合とかどうでもよい。
どんな格好をしていようが、どんな体型をしていようが、どんなに身体をくっつけていようが、明確な拒否を否認して行われるSEXは、レイプである。そしてそれを黙>>続きを読む