このレビューはネタバレを含みます
劇中で否定的な未来像として示唆される、いまや一般化した動画消費のような、即ちコンテンツ的な映像消費を否定的なものとして捉えるなら、当の此の映画自体が映画としての場面や画面の中で空間や時間を尊重する意思>>続きを読む
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正義のない力と、力のない正義。
「私が法だ」という認識と「俺が法の番人だ」という認識の、似て非なる在り方。
単線的ならぬ複線的な物語の構図の中で、過渡期的な「私」と「公」の葛藤が個の実存の葛藤として>>続きを読む
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「大人だから…」「子供だから…」などというありがちな言い回しを(コトを回避する言い訳として)言い立てることは誰一人しなかった、というところ。
それは最低限、モチーフとして映画の物語に描かれても然るべき>>続きを読む
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一方に私的闘争の物語としての西部劇があるなら、もう一方に公的闘争の物語としての裁判劇がある、というのがアメリカ映画史の一つの構図なんだろうか、と思える。
そしてそれは、少なくとも「アメリカ」に於ける>>続きを読む
映画の中の彼らは、そこにはいない。ではどこにいるのか。ここにいる。映画の中にこそいる。
映画の中の彼らとその物語は、実在の代替ではない。
(テクストを信じるとは、そういうことなんだろう。)
これっ>>続きを読む
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のっけから不穏な非人称的無機質の中に映し出される「タワー」の空間。
部屋の中で素足を晒さない人間達の足元を蠢く、その黒猫自身の足取りの微妙な重怠さ。
そこに居て、しかし同時に何かそこに居ないような目つ>>続きを読む
映画館で映画なんか見てること自体のわざとらしさ、嘘くささ、恥ずかしさ、疾しさ、みたいなもんを思い起こさせる。
人生に決定的な瑕疵を負った人間は映画なんて当たり前には見ていられないだろう、とも。
強>>続きを読む
寝て、起きる。寝て、起きる。
有り余る暇と鬱屈をぜいたくに持て余す、「モラトリアム」としての若さの特権。
(本当は問題は外ではなく内にある。それがそれこそ「芸術」なら。)
それを主体化するアクション>>続きを読む
「子供”は”子供だった時…」
という日本語に訳された言い回し自体の中で、既に過去でも未来でもないものとして攪拌されている「時」の構図。
飽くまで霊(たましい)が霊(たましい)足る所以であるところの人間>>続きを読む
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アジテーションならぬコミュニケーションとしての「話す力」は、即ち「聞く力」なのだ、そしてそれが対等な対話として、口論ならぬ議論として、「私達」の民主主義の根幹をなすのだ、という、至極真っ当な「主張」。>>続きを読む
個人的には塚本晋也よりも諸星大二郎よりも役者・沢田研二を覚えた映画。
30年後の尺度からすると「説明」不足な、しかしきちんと物語であり映画でありを”感じさせる”90分。むろんよい意味で。
『人妻集団>>続きを読む
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極めたエロは極めて純で、極めた純は極めてエロになるものなんだと。何故ならそれは、裸形と裸形の邂逅だから。「赤」と「白」との数瞬間のカメラ越しの接近の場面は、言わばそういうものだった。そして物語が終わる>>続きを読む
前半、炎と煙、放水と傘、発煙弾とガスマスク、火炎瓶と弓矢とゴム弾、「四面楚歌」「十面埋伏」、バリケードとレーザーポインターとが、昼夜の闇と光の中で目まぐるしく交錯し、その最中で走り抜け、駆け回り、突破>>続きを読む
54年にわたる軍事占領という不正の強権的行使、その常態化が、如何ように人間精神に抜き差しならない(『地獄の黙示録』的)退廃をもたらすかのドキュメントになっていた。
さまざまな証言を繰る抑圧の当事者とし>>続きを読む