しみたれうお

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パトリオット・デイ(2016年製作の映画)

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人物たちの背景に町の姿があらわれないので、さいごの歓喜の唱和でも帳尻が合わない。それでも好きだよ、ピーターバーグ。

怪物はささやく(2016年製作の映画)

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母親が落ちてゆく穴が、亀裂もふくめ力みなぎる画なのに、少年がそこへおちてゆきそうに、なるようにしか見えない段になり、穴はたんに記号へと痩せ細ってしまう。

美しい星(2017年製作の映画)

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冒頭家族の食事に遅れて登場する長男のコスプレ感にシートから尻がずり落ちる。度を超して美しい橋本愛さんは、ちゃんと大学生だったのに。母親の声がずっと養命酒であることのおかしみが、この喜劇に寄与していたの>>続きを読む

20センチュリー・ウーマン(2016年製作の映画)

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映画でえがかれるじかんからずっとさきの未来の、本人さえもいない任意のときから母が語りをいれるとき、映画はみずから重心を放棄したように自由になる。母の声だけでなく、ポリフォニーによって編まれる局地的文化>>続きを読む

LOGAN ローガン(2017年製作の映画)

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アメコミヒーローが高熱にうなされて見る覚めない悪夢を切り裂くように、トウモロコシ畑を横断する車。露出する膿んだ傷。悪漢はもう野良犬にさえなれない、から犬死にもできない。

メッセージ(2016年製作の映画)

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たとえ言語や内面こそを主題とするのだとして、顔表情だけで現象をおこそうとするむきに胸の高鳴りがおさまりっぱなし。ジェレミーレナーの「声」がとてもよく、作品世界を繋ぎとめていた。

エイミー、エイミー、エイミー! こじらせシングルライフの抜け出し方(2015年製作の映画)

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もたつく鈍い口元やヒールではこばれる歩行など、主演女優の特異な身体性がひかる。だから凡庸さに屈しきれないエイミーのダンスは、不気味なチャームとして現前する。

ナイスガイズ!(2016年製作の映画)

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フィルム缶が転がる直線的追走劇を、あっさり、とってつけたみたいな葛藤で途絶させてしまうあたり。

スプリット(2017年製作の映画)

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レディインザウォーターでシャマランじしんが演じた役割に関して、オーケーそうだよなと言ってしまっていたてまえ、オーケーオーケーそうだったそうだったと体裁を繕う鑑賞態度にならざるをえない。

マイルストーンズ(1975年製作の映画)

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シーンをまたいでもまたいでも途方にくれているかれやかのじょの、これからの先々で、つねに現在からの視線に見つめられることを知っているかのようなふるまいが横溢する、諦念にみちみちたフィルム。

パーソナル・ショッパー(2016年製作の映画)

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フィードバックノイズの残響なかでおこる事象がとらえられたかのようなフィルム。かとおもえば、「返事」の破格な音はどうだ。おもしろすぎる。

手紙は憶えている(2015年製作の映画)

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三人目を訪ねるところは、フィンチャーゾディアックとか黒沢清みたいで、急になにさ色気づいちゃってと伏し目がちに。

アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男(2015年製作の映画)

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バウアーと机をおさめるフレイミングの窮屈さと、討論会の翌日の、秘書の紅潮した顔が印象深い。

台北ストーリー(1985年製作の映画)

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世界を記述することへのあまりにも美しすぎる野心。きょうも世界のどこかの通りで、だれかのママンがどのバスに乗ればいいかわからずに、右往左往している。

旅役者(1940年製作の映画)

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こおり屋の場面構成にドキドキしておちつかないきもちになってしまう。ホーリーモーターズはこの作品から着想されたのだろうという思いこみだけで、滂沱のなみだをながす。

ブリット(1968年製作の映画)

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ぶんぶん35mm。飛行場やハイウェイの場面が、登場人物たちのおこすどったんばったんでは波紋ひとつたたない場所や状況として設定され、あくまでもそういう場所でおこることとしてどったんばったんがえがかれてい>>続きを読む

ダーティハリー(1971年製作の映画)

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ぶんぶん35mm。銃を握るイストウッドの手を甲のがわからとらえるときに、ぜんたいがイモくてこわくなるサイズの発見。

バーニング・オーシャン(2016年製作の映画)

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作品世界にリアリズムを築こうとするつくりての意図とは裏腹に、たとえばヘリポートが、男女があがってくるのを待っていたかのようにお膳だてがととのってしまいましたというようなしゅんかんがある。だから緊迫の場>>続きを読む

東京上空いらっしゃいませ(1990年製作の映画)

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なぜおまえは相米を甘やかしてしまうのかと痛烈に問うてくる問題作。影あそびや屋形船の場面が、たとえ持続こそを目的としていたとして、その構図が問題になるようなことが他の作品であったのかどうか記憶にないけど>>続きを読む

ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち(2015年製作の映画)

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おじいのくりぬかれた目の穴が真の無で、快哉をあげそうになる。そこからはめくるめく興奮の連続。傑作。

ムーンライト(2016年製作の映画)

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美大生っぽい自意識の燃えかすみたいなこころみは、見ているあいだはまったくのれなかったけど、終わってみれば悪い印象がない。ただ胸にのこる情感はけっきょくことばによって喚起されたものだ。個としての身体には>>続きを読む

揺れる大地(1948年製作の映画)

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環境のなかで芝居が異化として、作用せずにごろりとただころがってゆく、むせかえるほど匂いたつ生乾きのフィルム。

郵便配達は二度ベルを鳴らす(1942年製作の映画)

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おとこが修繕したポンプが不意に画面の隅にあらわれる。ふたりの最期を予見させるいわくつきの遺跡のようになにげに配置されており声をあげそうになる。食器の山に新聞を立てかけてスープを口にはこぶ女。メロディが>>続きを読む

パブリック・ハウジング(1997年製作の映画)

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登場人物になるものもならないものもひとしくカメラのまえに立つことができる公平性。なれんのかのやさしげな挑発と根気のよさ。よその映画からまよいこんできて、遠ざかってゆく少年少女おとな。

視覚障害(1986年製作の映画)

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順番の、もしくはならびかたの魔法が、いかんなくゆきわたる。

ジャッキー ファーストレディ 最後の使命(2016年製作の映画)

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装丁のことしか気にしていないかのようにふるまう夫人の、これでも本を意外と読んでいるのですよという宣言によって、これがテクストにまつわるものがたりであることが告げられるものの、ジョンハートが身をもってフ>>続きを読む

レゴバットマン ザ・ムービー(2017年製作の映画)

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ジョーカーを拒み、城に帰りロブスターを食べ、トムクルーズを嗤い、家族写真を見つめる、あの一連のシークエンスの完膚なきまでの痛ましさ、泣いた。

シナイ半島監視団(1978年製作の映画)

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それはおたくとあちらさんの問題であってと執拗にくりかえす難詰場面の、あらゆる強度が増すおもしろみ。行為はもれなく空隙におちる。身体だけをのこして。

キングコング:髑髏島の巨神(2017年製作の映画)

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目配せや秘密の頷きなしに、ただひたすらの節操のなさによって成し遂げられた痛快作。これからいくつもの映画で何人もの科学者に心おきなく「誰も私の言うことを信じなかった」と言ってほしい。永遠につづくかぎり。

牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件 デジタル・リマスター版(1991年製作の映画)

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夫婦の言い合いのあとで、夫をふりきろうとする妻とともにうごくもさいカメラがあいずだった。バスの車中から、兄貴越しに見ていたはずの戦車の列がいつのまにか目のまえを通りすぎている、その痛切な音。それからは>>続きを読む

ノン、あるいは支配の空しい栄光(1990年製作の映画)

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まだつづくの?もういいよ、となるいやないやな銃撃戦の長さが、唐突に、やぶれたさけび声でとぎれ、雑木ではっきりとすがたをあらわさない声の主が、スクリーンの外へ逃げてゆくような、あそこ、さいこう。

神曲(1991年製作の映画)

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鑑賞している人びと、というのが何度か出てくる。人びとの配置が、並びかたから人物の重なりぐあい、顔のだからどのすき間からどのくらい顔が出ているかというような、表情にいたるまで、それからその人びとのはけか>>続きを読む

スラッカー(1991年製作の映画)

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テキサス州オースティンをカメラが彷徨する、リンクレーターの青き上品な「ユリシーズ」。カメラが自死にいたるまで、完ぺきな行儀の良さ。

春の劇(1963年製作の映画)

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モンティパイソンライフオブブライアンから、ぐぐっと音がするように、純度の高い劇へ凝縮してゆく豪腕っぷり。腕っぷし。強い。