メタファーを通して世界の美しさに出会う、言葉でも音でも、それが映画でもいい
SUPER、FOREVERとまで強調される幸せは、カップ麺をすすって笑ったときのように物だったり場所だったり記憶だったりささやかなその中にきっとずっと漂っている
虚無の荒野と内なるガラスの部屋
無言から語りの応答へ 対比が鮮やか
空の青、赤い服、緑の光
確かに現代の空気感での台湾ニューシネマ
現実が劇中の近未来と近似してみえるところが恐怖
重さの中で若い演技と音楽が救い
あるひとつの事実を想像すること
社会が誰かを突き落とすということ
役者もとても良かった
無邪気さの光と影が空気の中に漂いながら
氷の音、春の匂い
ハンバートハンバートがとても良い
リトルダンサーへのリスペクト
ヴィルヌーヴのDUNEを見ていなかったらついていけなかっただろうほどにダイジェスト。抽象的にテンポ良く流れる画はいい。
都市を見つめる視点の孤独に気づかされる
どこまでも美しいショット、、
アケルマンの水平ショットがborderを捉える
写された人の不在、両側からの語りが残る
無から来て無に帰るという言葉が重い
どうしたらこんなに奇跡的なショットをとり続けられるのだろうか
被写体との距離、目撃された生
物語は物語の中にしか存在しない、から
人と人との間で映画はつくられる、まで。
ずっと夢遊している感覚に捉われる
雨が降って光が射す、人の向き、距離、間に入るガラス、蛇口から落ちる水滴
時代のなかで揺れる父子と周囲の人の感情が言葉の余白に刺さる
アニャテイラージョイの目はとても良いのだけれど個人的には前作の方がはまった
ある種の寓話、神話のような
不穏な緊張と温かさが常に同居する
最後の遮断はオマージュのようにも思えた
核抑止力は避けられなかったかという答えのない問い
科学と政治の罪、幻惑を生きる人類
ノーランのレトリックがやや強すぎるようにも
起伏ある地形と緑、異なる住宅タイプ、穏やかなニュータウンの空気に流れるいくつもの時間
花火とダンスとフィルムが記憶に重なった
信仰と戦闘、資源と侵略
砂漠のリズムに刺さる青い眼
スカルパのブリオンヴェガが出てきて興奮
見えていても見えていなくても、誰もが少しずつ何かを抱えている、小さく呼吸を整える優しさ
ベラの成長とともに視点も徐々に動かされ、抵抗感のあった映像が鮮やかに見えてくる、くどくならずにどこまでもポップに
音楽も良かった
テキスト、写真、音楽、小物、手つき、そしてフィルムに残る記憶、あるいは感情
その美しさに触れて人は瞼を閉じる
細やかな友情が川のように静かに時を超えて漂うような余韻
ヤモリ、フクロウ、リス、カラス、魚、犬ネコ、牛、生物と森と音を見つめる視点