ダイアン

Dear Pyongyang ディア・ピョンヤンのダイアンのレビュー・感想・評価

3.0
極私的、という普段使い慣れない言葉もドキュメンタリーの場合はひとつの手法として定着している。とってもプライベート、という意味だが、ホームビデオと言い換えても近しいものがある。その間には「映画という物語に紡いでいく」あるいは「全くの他者に観せる」の違いによって大きく存在性も変わってきそうだが、直感的にこの映画は人に観せたいという意思すらあまり感じなかった。
小さい頃から音楽や演劇や文化に親しみを持ち、NYでも映像制作を学んだ監督にとって表現をするというのは自然なことなのだろう。ただあまりに実直な性格の人だと思う。

テクニカルなことははっきり言えば、ない。ただただ愛する両親と自らのアイデンティティの違和感を描くだけ。自身は制作当時40歳近い。自分は何者なのか?という問いを長く抱きすぎてる気すらしてしまう(多くの人が無自覚になったり、自覚的に無思想になったり、現実のやるべきことだけを考えるようになりそうなものだ)。
そうした社会通念や商品パッケージングのようなものを何も感じないからこそ、この映画の魅力があるのだと思う。こんなの映画ではない、なんで在日のホームビデオを観せられているんだ、正直いえばそんな声も想像できてしまう。でも監督はそこに意識すらないように、オモニとオボジの日常を見つめ続けた。

ナレーションが鼻に付くし、散々語りかける「違和感」という言葉にはどこか辟易してしまう。本来ならドキュメントの中で両親や周囲との対話から紐解いていくのが常識的なルールだと思う。
必要なのに撮れていない要素も多い。ヌルッとかわしているが誤魔化せていない。でもそのテクニカルなことを置き去りにする「家族の姿」が確かにある。ゆっくり走るオボジの自転車を追いかける映像に、涙が出そうになる。ラストシーンには胸が熱くなった。

公開当時にこれだけ北朝鮮国内の映像が公にされることはなかっただろうから、その強烈さは大きかったと想像。日本のマスメディアではかねてからどこか洗脳的な異常国家のような目線が続くが、人も国も大きく変わり続けている。
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