Kanon(2006年版)の1の情報・感想・評価

エピソード01
白銀の序曲 overture
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あらすじ
相沢祐一は両親の都合で、7年前によく訪れていた北の街に住む叔母の家に居候することになった。従姉妹の名雪とも7年ぶりの再会になる。名雪に街の案内をしてもらっていた祐一は、月宮あゆという少女と出会う。そして偶然知り合ったにも関わらず、追われているという彼女と一緒に逃げる羽目になってしまい……。
コメント1件
夏藤涼太

夏藤涼太

アニメとしてのクオリティの高さ以上に、序盤を観てまず感じるのは、何よりも圧倒的な安定感だ。 Key×京アニ3部作『AIR』、『CLANNAD』、『kanon』の中で、『kanon』は最も影が薄い印象がある。だが、実は一番恵まれたアニメ化だったのでは? 『AIR』は本来2クール必要な内容を1クールに無理やり圧縮し、『CLANNAD』も5~6クール必要な物語を4クールに詰め込んでいるが、それでもキャラ紹介だけで3話以上かかるなど間延び感があるし、正直CLANNADという作品自体がテレビアニメという媒体に向いていなかったと思わさせられるのだが… だが、『kanon』は違う。1.5クールでもなんとかなる内容を2クールでじっくり描くことで、情感たっぷりのドラマチックなストーリーを余すところなく表現されている。まさにちょうどいい尺。 原作未プレイでも理解しやすいように脚本と演出には工夫が凝らされ、それどころか原作の難解で物足りなかった部分もオリジナル要素で丁寧に補完している。特に難ありだった舞ルートは見違えるほど改良された(まぁこれは小説版に準拠しているとも言えるが)。またもちろん、原作…というかKey作品特有の"余白(解釈不能性)"はしっかり残されており、原作へのリスペクトを多分に感じられる脚本・構成になっている。 これはアニメの脚本を麻枝准が完全監修していたのが大きく(ちなみにこのような幸福な手ほどきがされているのもkey×京アニ作品ではkanonだけだ)… そもそも原作のkanonは(一応企画は久弥直樹だが)久弥直樹・麻枝准の二大ライターによる完全別個制作で各ルートが作られていたために、まとまりや整合性のない脚本・世界観となっていたのだが、アニメ版では麻枝准が棟梁として全体を整合しているので原作よりも完成度が高くなっている。 もっとも、ほぼモブ同然だった北川がいかにもだーまえ的な面白親友キャラになっているのは、完全に久弥直樹作品と言うよりも麻枝准作品にすげ替えられてしまっている感があるが…まぁ、アニメとして面白くなっているなら良かろう。それにだーまえの久弥直樹のリスペクト力は異常だし。 事実、2話まででキャラクター紹介が完結しているだけでなく、作品を象徴するエモーショナルな演出もなされ、伏線まできっちり敷かれており、導入として抜群の安定感を誇っている。 また作画クオリティも、アベレージで見れば『CLANNAD』より高いと個人的には思う。『CLANNAD』は4クールの中でキメ回だけ120点を叩き出しつつ、他は80点程度という印象だが、『kanon』は一貫して高い水準を維持しているので。 たとえばAIRとKanonは1カット毎に目にぼかしの処理がされているのだが、CLANNADではその無くなりギラついた印象に。 いやテクノロジーや技術力の向上もあるし、もちろん今の方がハイレベルなんだけど…こだわりが消えたというか。 …音楽のクオリティの圧倒さは、まぁ、言うまでもなかろう。