Kanon(2006年版)の10の情報・感想・評価

エピソード10
丘の上の鎮魂歌 requiem
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あらすじ
祐一から真琴の正体を聞かされた名雪と秋子。少しでも真琴のそばにいるため、祐一は学校を 休むことにする。そんな祐一に真琴は「けっこんしたい」とつぶやく。美汐なら真琴を理解し支えに なってくれると思った祐一は、美汐に真琴に会ってほしいと頼む。
コメント1件
夏藤涼太

夏藤涼太

このコメントはネタバレを含みます

真琴ルート最終話。 麻枝准作品の原点としてはやっぱり『moon.』だが…今見ると、麻枝准的泣き要素の原点は、やはり真琴ルートだなと思わされる(以下key作品のほぼ全部のネタバレ注意)。 死が運命づけられたヒロインといえば『AIR』の観鈴ちんだが、度々熱を出して冬を越せない展開は『CLANNAD』の渚を彷彿とさせるし、その正体を動物とすることで彼女の祈りをよりピュアなものにする手法は志摩くんだし、かと思えば幼児退行する点は『神様になった日』のひなを思わせるし、記憶を失っているといえば『Angel Beats!』の音無である。「冬の花火」という麻枝准自身が書いた曲を、麻枝准のシナリオのベストなタイミングであてて泣かすのは、いうまでもなく、以降のkeyゲー・麻枝准作品の全作品に共通するテクニックである。 まさに、麻枝准の泣き要素のオンパレードで、そりゃ泣くでしょって話ではあるのだが、その詰め合わせてんこ盛り加減は、ハズレライター呼ばわりされてた麻枝准が久弥直樹に打ち勝つためにどれだけ無茶をしていたかがよく伺えて面白い。あとないのは「記憶を失う/忘れられる」のモチーフくらいか。 ただし、とにかく泣かせる要素をぶち込んでいるために、完成度の面ではやはり後の作品には劣るというか…「泣かせるためのご都合主義感」は今見ると否めない。 以降の作品では泣き要素を絞ることで、その要素をちゃんとストーリーのテーマとつなぎ合わせることに成功してるから、ご都合主義感はないんだよね(というかむしろ絶品)。 むしろ今回では、 「お前といると俺までばかになるんだ」「なーによ、真琴がばかで、祐一が合わせてるってこと?」「いや、二人がそろうと一緒にばかになるんだ」「あ、なるほどって、納得していいのかな」「いいんじゃないのか。今どき貴重だぜ、ばかでいられるような時って」 のやりとりが地味に一番切なかったかもしれない 『智代アフター』での加奈子との「バカの中のバカ」のやりとりといい、麻枝准のバカへのこだわりは凄いよなぁ ただまぁ仕方ない(kanon問題の解決としては満点)とはいえ…やはり恋愛要素がないと、祐一が本当に女たらしに見えて仕方ないな! CLANNADでは恋愛必須の攻略ヒロインを削ったことでこの問題を解決していたのは、よかったような、寂しかったような… とはいえ…エロゲだから恋愛要素ありきで作られているとはいえ、やはり麻枝准の描く絆の本質は、恋愛や性愛ではなく、もっと純粋な愛なのだということが、この真琴シナリオを見てもわかるよなぁ。動物だし…人間にしても、完全に子どもだもの、真琴。 その後のAIRでは恋愛が消滅して母子の話になるし、CLANNADも巨大な家族愛の話だし、リトバスは友情だし、音楽作品の「Love Song」や最新作の『神様になった日』や『猫狩り族の長』でも恋愛要素は後退して、「個人間の純粋な愛」がテーマになっていた。 (「だーまえは元々ファンタジーは得意だが(久弥直樹のような)キャラ萌えは苦手」と馬場社長が語っていたように、kanonのだーまえキャラはちゃんと萌えられるものの、やっぱ恋愛的な魅力があるのは久弥直樹キャラで。であるなら、必然的にエロ同人や恋愛系SSを描きやすいのも久弥直樹キャラなのである) 特に、このだーまえが監修したアニメ版kanonでは、(ヒロインが幼いのも相まって)祐一は非常に「父親」っぽい存在に見える。成熟してるんだよな、たとえばCLANNADの朋也とかと比べると(しかしだからこそ岡崎は青春ドラマや学園ドラマの主人公として成り立っていた。だから、祐一が恋人っぽい振る舞いを見せるあゆルートはちょっとキャラブレ感があったり)。たぶん朋也と同じように妻を失ったとしても…祐一はそれで子供を見放すようなことはしないと思う。 リトバスの理樹は、逆に朋也より幼くなっているかな。これは、恋愛以前の友情ドラマを体現するための存在としてのキャラ設定だろう。 …ではAIRの往人はどうかというと。往人は恋人的存在でも、父的存在でも、あるいは友達的存在でもないんだよな。 もうそういうカテゴライズを超越してるというか…文字通り、前世からの宿縁、魂レベルで結びついている、まさに「運命の相手」だからな。そういう点では、『猫狩り族の長』で描かれた関係性が近いのかも。