Kanon(2006年版)の24の情報・感想・評価

エピソード24
夢の果ての追復曲 kanon
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あらすじ
季節が移りゆく。街に降り積もった雪も融け始め、木々の枝のつぼみがほころびはじめている。いつもと変わらぬ朝の風景。家族と笑い、友達とふざけあい、今までと同じ一日の始まり。それぞれの痛みを乗り越えた少女達は、祐一に笑顔を見せる。ただ一人、大切な人をのぞいて…。
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過激

過激

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夏藤涼太

夏藤涼太

このコメントはネタバレを含みます

京アニ版kanonもついに最終話。何度見ても、(恐らくはだーまえの監修も入っているのだろうが)原作の”kanon問題”の見事な解決っぷりには舌を巻く… しかも原作ではわりと真琴・舞――つまりは麻枝准担当ルートの"奇跡"も同一の”kanon問題”の枠で騙られがちなのだが、実際にシナリオを読み解けば(そもそもだーまえと久弥直樹が互いに設定を隠し、共有していなかったという制作スタイルからも明白なように)、真琴・舞の奇跡はあゆのお願い(人形の能力)とは無関係なはずで。 その点、(だーまえの監修した)京アニ版はそこを明確化しており、あゆのお願いで救われたのを秋子さんと栞とあゆの3人に限定していた(同時に全員のルートを見事に完全再現して見せた)のが良かった。 そして、ラストで戸越まごめのアレンジバージョンの「生まれたての風」を流す京アニ…マジでKey信者がすぎる…… しかし、すっかりKey=麻枝准という印象の付いてしまった今回見て改めて思ったのは、久弥直樹シナリオのアンチKey感である。 もうね、あゆシナリオなんかはもう伏線が上手すぎて…こんなの(ロジカルシンキングとリアリズムの正反対に位置する)だーまえの脚本じゃあ絶対にありえないよ、っていうくらいの精緻な脚本、そしてテクニックに仰天である。 しかし、自分は久弥直樹と同じロジカルシンキング&リアリズム派なので、やっぱりだーまえのシナリオの方が衝撃を受けるし、憧れるのだ。 この久弥直樹的なシナリオは、彼のシナリオに憧れた涼元悠一に引き継がれたわけだが…ことみルートはファンタジー要素無しで、プラネタリアンは完全にSFだったので、やっぱり(麻枝准が主導する)Keyらしさからは離れていくことになる。 久弥直樹シナリオのアンチKey感…その2つ目は、ヒロインのアンチKey感だ。 10話の感想でも書いたが、麻枝准の描くヒロインって結局は、ヒロイン=性愛の対象ではなくて。 その点、久弥直樹キャラ――特に栞や名雪――は、一見するといかにもデフォルメされた幼い萌えキャラなのだが、実はその内部に「女性的な悩みや実存」を抱えており、そこに、恋愛の相手=リアルな女性としての実在感を表現することに成功している。 『CLANNAD』では、魁の書いた藤林姉妹がこの「女性的な悩みや実存」を抱えた萌えキャラだったが…本人が「アンチKeyを目指して書いた」と言っているように、こちらもやはり、(麻枝准が主導する)Keyらしさからは離れたものだろう。
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