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ドキドキ!プリキュアのKengoTerazonoのレビュー・感想・評価

ドキドキ!プリキュア(2013年製作のアニメ)
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もう終盤はゲームをオートプレイしている感覚になる。キュアハート無双。

相田マナは父権的なプリキュアと言える。六花のことを奥さんと呼ぶまではいい。六花も奥さんという言葉を積極的に受け入れていることもいい。女性同士の関係性に家父長的な「奥さん」という語を用いることで、「奥さん」という語がズレる契機になるからだ。だが、結局「奥さん」という語はズレなかった。六花はマナを助けるがそのほとんどが不可視化され、マナの評価のために消費される。なるほどやっていることが奥さん的なのだから奥さんという語は適している。だが、女性同士の関係性であるが故に「奥さん」という語がもつ家父長的なイメージをエンパワーすることに寄与してしまい、その結果マナは女性を搾取する女性に、六花は搾取され、不可視化される女性に身を落とした。マナは生徒会長でプリキュアのリーダーという、公私共に中心にいる人物である一方、六花は副会長ではなく書記という立場で(明らかなジェンダーバイアスを感じる)、キュアハートの足がかりに積極的になる。2歩後ろからついてくる「立派な奥さん」なのである。

さらに許せないのはキュアエースだ。私は彼女を許さない。彼女は他人のコミュニティに土足で足を踏み入れ、我がもの顔でそのコミュニティを改造しようとしたわけで。そんなやつを受け入れたプリキュアコミュニティもどうかとは思うが。

マナは言っていた。「私も自己中になることはあるよ」云々。だが私は思うのだ。「お前なんかに何がわかるか!」と。結局シリーズのほとんど、レジーナを奪われた場合を除いて彼女は中心化されてきた。ずっと中心にいるやつにそんなこと言われたかねぇ!
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