つるつるの壺

機動戦士ガンダムSEEDのつるつるの壺のネタバレレビュー・内容・結末

機動戦士ガンダムSEED(2002年製作のアニメ)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

来年の劇場版に向けて20年ぶりに鑑賞。野球の練習が終わった後にダッシュで帰宅して観ていたことが懐かしく思い出されると同時に20年という月日の経過に絶望が去来して死にたくなる。

ある程度ガンダム作品を通過してきた今の視点から見るとストーリーラインや設定がファーストガンダムと酷似しているのが分かるが、実際に21世紀のファーストガンダムを標榜して製作されたようだ。結果的にはその標榜に相応しい成果を上げたことになる。

戦争という大局の中で個人は何が出来るのかを模索し、「想いだけでも力だけでも」といった煩悶を抱えながら戦い続けるが、そこに明確な答えはない。超人的な能力を有したキラがその力を殺しに使うのではなく不殺戦法でなるべく犠牲を出さないように状況に対応するといった描き方は今見ても新しいと思う。

遺伝子操作で優れた能力を持ったコーディネーターとそうではないナチュラルとの人種間の争いは着地点を見つけるのが難しい。人の営みには必ず競争原理が働くので生まれながらにして優れた能力を持った人間とそうではない人間との間に格差による妬みや見下しが発生するのは自然なことであり、これを解決するには物語終盤にあったような殲滅戦をやるか、お互いに手の届かないほどの距離を取るしかないのかもしれない。
一応オーブではコーディネーターとナチュラルが共存しているみたいだが、その内実は描かれない。
2002年以降に勝ち組負け組という価値観が浸透し格差の広がりも大きくなった現在から見るとより迫ってくる。

コーディネーターとナチュラルの軋轢を描く際に、コーディネーターが殺害される場面がモンタージュで挿入され、より能力の差が顕著になるスポーツ選手や文化人などが多く殺されていた。人種間の軋轢を市井の人々の生活から描いたエピソードが一つでもあれば良かったのになと思う。

友達を守りたいという一心で戦うキラだが、コーディネーターとして力を発揮するにつれ、ナチュラルである友人たちとの間に軋轢が生まれたり、自身が最高のコーディネーターを目指して作られた存在であり人間の果てなき欲望のもとでモノ化した生命の果てであるといったことを知ることでアイデンティティーが大きく揺らぐ。キラにとっては存在そのものが辛い状況になっていく。それを相対化するのが失敗作であるクルーゼというのが面白く、彼の方に理があるように思えてしまう。

個人的に好きなキャラはカガリ、ラミアス艦長、バジルール中尉、ミリアリア。