ツナマヨ

新世紀エヴァンゲリオンのツナマヨのレビュー・感想・評価

新世紀エヴァンゲリオン(1995年製作のアニメ)
4.5
初めて観たのはTV放送当時。アニメが嫌いな親が残業のときだけ何でもいいからアニメを見たくてテレ東をつけていたらやっていた。
子供だったから全く意味がわからなかったけど、「アニメを観ていること」に満足していた。

高校生になりレンタルビデオ店でVHSを借りて初めてきちんと全部観た。全く意味がわからなかった。

大学生になり新劇場版「序」の公開を控え改めて観直し。14歳の子供たちに与えられる過酷な運命に自分も辛く感じたけど、ネルフの大人サイドの心の機微を感じ取るにはまだ私も幼気だった。

社会人になり「破」「Q」のためにまた観直すと、特務機関や政府の仕事ではないけれど、働く者としてのジレンマなどミサトやリツコの抱える悩みや嫉妬や羨望や自己嫌悪もだんだんわかってきた。それでもまだ理解できるほど大人ではなかった。

そしていま、シン・ヱヴァンゲリヲン劇場版の鑑賞を控えてまた観直した。
設定上、生まれ年が自分と同じミサト。劇中でのミサトの年齢は既に追い越しているし、自分も一時の隙間を埋めるためだけの色恋沙汰にわざと溺れたり、そんな自分を自覚しながらも認知したくなくて自暴自棄になったりしたこともあったので、ミサトやリツコの問題にも寄り添えるようになった。

人間とはなんなのか、ただそれだけをぐるぐると考えては闇に堕ちる、それを繰り返す自問自答の作品。
それが新世紀エヴァンゲリオン。強欲なリリン。それが私たち人間。

思春期の甘く苦く鋭く尖っていたころを、20代前半の大人になったと勘違いしていた虚勢を、30代半ばになって反芻して、改めて愚かな人間の下らない欲望について受け止める。

地球の長い歴史の中で、たった一瞬にも満たない時間を、天変地異や流行病に慌てふためく私たち人間。10年前の東日本大震災でヤシマ作戦と銘打ってみんなで耐え忍んだこと。
そしてこのコロナ禍で何が真実かまだわからないままに日常生活を送る日々。
この現実は、14歳の子供たちに委ねるしかできない世界だけには、どうかなってほしくない。
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