せーじ

ヴァイオレット・エヴァーガーデンのせーじのレビュー・感想・評価

3.0
金曜ロードショーの特別企画にて総集編を鑑賞…したは良いものの、なんだかしんどくなってきてしまって、途中で離脱してしまいました。
どうしてこういうことになってしまったのか、ちょっと言語化してみたいと思います。

(以下、この作品を好きでいる方々には、この先の文章はもしかしたら嫌な気持ちになるものかもしれません。ご了承ください)

まず思うのが、世界観が実はかなり特殊なこと、でしょうか。
19世紀末~20世紀初頭のヨーロッパっぽい街が舞台で、登場人物は全体的に欧米人ぽい人々が中心ですけれども、特に実在の国がモデルだった訳でもなく、完全に架空の世界が舞台であることが前提になっています。ただ、義手の技術が発展していたりなど、ところどころテクノロジーが進んでいる部分もあったりと、結構不思議なバランスなんですよね。
で、戦争に駆り出された兵器として扱われてきた主人公の少女が、本来の目的を失ったところから物語は始まり、手紙と代筆業を通して人間的な感情を再構築していくという話で、それそのものに関しては飲み込むことは出来るのですが、観ているうちにこの作品の設定、というかこの作品そのものが全部主人公に向いている様に見えてきてしまったんですよね。
まるでこの作品そのものが主人公のために用意されたものである、みたいな。
世界観も、主人公の設定やビジュアルすらも「用意されたもの」のように強く見えてしまったのです。

そこにノレるのかどうか、主人公に感情移入したり、主人公を見守るような存在として観ることが出来るのかどうかが、この作品を楽しめるのかどうかの一つの基準であり、鍵になるのかもしれないなと自分は思いました。
そうです、自分はどちらにもノレなかったんですよね。

その原因は最初、「リアルとは接続していない世界観」のせいなのかな、と思ったのですが、実はそこもそんなに重要では無くて。「世界」だけでなく「登場人物」や「ビジュアル」すらも用意されたもの=メタファーであると考えるとすると、ヴァイオレットがしようとしていたことは、「感情を失くしてまで頑張ったものの果てに、どう心を立て直していきたいのか(いくべきなのか)」ということが浮かび上がってくるように思えました。その為に用意された"箱庭"があの作品の世界であり、その中をあの様なビジュアルの登場人物が立ち回るのだと捉えていくと、妙に腑に落ちたのです。
ただそれは、自分自身のこれまでの人生で得たものとはかけ離れた概念であり、そういうものに心が動かされること自体が、実は自分の中には無いものなのだなということが、様々な評をや感想を読むことでなんとなく理解出来ました。なので、こういう物語に感動したり感情移入することが出来る人もいるのだな(ただし、自分はその人たちとは違う概念を持って生きてきたのだな)ということが、理解できた気がします。

また、とはいえそう捉えることが出来たのだとしても、自分にはその「箱庭」が、自分にとって良いものだとは思えなかったのですよね。あまりに分かり易過ぎて、結末がすぐに見えてしまって。だから耐えきれなくなって離脱してしまったのだと思います。(そら、幼い女の子を持つ病気がちのお母さんが、誰宛の手紙をヴァイオレットに代筆をお願いするのかなんて、すぐにわかりますからね。。。)そして、この物語の限界だと思うのですが、傷ついた存在が周囲の人々に影響されて、周囲の人々の為に(ここ重要)何かを成すというのが感動的な訳であって、この物語構造だとそれも望めない構造になっているのが、ノレなかった最大の理由なのかもしれないなと思いました。代筆した手紙で人間性を知るというのはいいセンだと思うのですけど、そこから、自分の思いを少佐だけにではなく周囲に、少佐の為だけではなく周囲の人々のために解き放つような展開がもっともっとあったなら、感動することが出来たのかもしれません。

※※

映像も、登場人物も、それを演じる役者さんも、これ以上ないくらいに素晴らしいのに、まったくノることが出来なかったのは、そういうことだったんだろうなと思います。
残念だったなと思いました。