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ちむどんどんのkaomatsuのレビュー・感想・評価

ちむどんどん(2021年製作のドラマ)
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このドラマの脚本がとても巧妙だなと思うのは、稚拙、薄情、自己中、狡猾という、視聴者がまったく応援できないような要素ばかりで図らずも作り上げてしまった主要な二人のキャラクターを、他の登場人物のセリフを借りて、この二人の「やさしさ」や「性格の良さ」「幸せになる権利」をことさら強調して後押しし、視聴者が望んでいない二人の幸せを正当化するため、一度失ったキャラの信頼を回復させようとする"シレッと"感、これに尽きる。そういうときの脇役たちのセリフは、突然降って湧いたように不自然極まりなく言い出したりするので、ああ、これは制作陣による弁解や正当化を代弁した説明セリフなんだな、とあからさまに分かってしまうのだ。

キャラクターの性格やイメージについて、いくら作者が後付けで「(実はドラマの中では)彼女の性格は百点満点なのだ」「(実はドラマの中では)彼にはやさしさゆえの迷いがあり、罪悪感にさいなまれていたのだ」と、第三者である脇役のセリフを通して説明や弁解、キャラ修正などを試みたところで、二人ともその真逆を行くような言動(または演技)しか出来ていないようにしか見えないので説得力に欠けるし、いったん視聴者に抱かれたイメージは決定的なものとなり、非情にもそれがドラマの中では真実となってしまう。独り歩きしたイメージは、もはや作者自身でも変えることは不可能なのだ。

このドラマに必要なのは、制作側がこうあってほしいと思うキャラクターのイメージを、後付けの弁明や正当化のためのセリフなどで小賢しく補足説明することではなく、役者さんたちが演技で、表現力で、それをストレートかつリアルタイムで視聴者に分からせる、ある種の透明性と、セリフに頼らずに演技で魅せる説得力だと思う。世のほとんどのドラマではそれを当然のこととしてきちんと実践できているので、シロウトの私がことさら言うことでもないのだけれど。

それにしてもこのドラマ、ユーモアもウィットもペーソスも皆無という、あまりの稚拙なプロットが一周して、もはや前衛的(?)なストーリー展開になってきており、どこをどう読み取ればよいのか理解に苦しむ。仮に作者の中に「他者を出し抜いてでも自分の幸せを勝ち取れ」「良い人ほど損をする」とか「思いやりや配慮よりも自己実現こそが大事」「優しさは人をダメにする」というタカ派的なメッセージが根底にあるのだとすれば、まずは共感どころか反発されるだけだし、それはあまりにも一面的で偏狭、かつステレオタイプな見方でしかない、と言わざるを得ない。世の中には人柄の良さや思いやりによって「徳」を得て、結果的に自己実現に至った人々も多いということを、制作陣、特に脚本担当者は改めて社会勉強する必要がありそうだ。

ヒロインの暢子を演じている黒島結菜さん自身は、思いやりのある素敵な方なのだろうとつくづく思う。なぜなら、ゲストトークのときやプロフィール用の顔写真など、ドラマの外で見る黒島さんの素顔はとても思慮深げで、はにかんだような自然な笑顔の中に謙虚さと意志の強さを感じるからだ。ゆえに、自己中かつ厚顔無恥な暢子を演じていても、口先と大きな声、ステレオタイプの極端な表情の変化でしか演技ができていなくて、いったん演技をし終わった瞬間に、謙虚で誠実な、素の黒島結菜さんの顔に戻ってしまっているのが、皮肉にもハッキリと分かってしまう。それは、彼女とは親類や友人でもない、一般視聴者の私が見ていても、恥ずかしさのあまり目を覆いたくなってしまうような、小手先感満載のレベルだ。ご本人のプロとしての意識の問題もあるが、脚本の程度や演出の面でのミスリードなど、もっと深いところにも要因があるのかもしれない。というのは、あくまでも以下、私見だが…

このドラマのホームページの番組紹介の一節に、「時代を超えどんな逆境の中でも、世界でいちばん美しいもの――それは家族です。」という、某宗教団体の思想信条に酷似した、家族至上主義的な言葉がシレッと書かれているのが不気味この上ないのだ。友情よりも、個人よりも「家族がいちばん大事」と異常なまでに訴え続け、その価値観を押し付けようとするこのドラマと、某宗教団体との共通項や関係性について、勇気あるマスメディアによって気付かれ、鋭く追及されることを切に願わざるを得ない。
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