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ジ・オファー/ゴッドファーザーに賭けた男のmasatのレビュー・感想・評価

3.5
つべこべ言わない。オモロ。

4話まで、鑑賞。
1話〜3話まで、ラストの次話への“引っ張り”が、なかなか軽くて大人気なくて、寧ろ好感。
かと思ったら、4話のラスト、
(キャスティングディレクターと行きずりのセックスを交わした・・・)
夜の臭いニューヨークを彷徨う主人公が、
ストリップ小屋のガラスに反射する自身の顔を見て、カットアウト!そこに往年の名曲、タイトル忘れたがメランコリックなメロディが被さり、もどかしく終わっていく、いつもと違い、重く終わりやがって、好感度マシマシ。
こう言う“粋”な図らいが、アメリカは見事で、気持ちを掴まれる。

5話
やけにアリの出番が多いと思ったら、出ました“ゲッタウェイ”!

しかし、全く似てないそっくりさん大会が素晴らしい。まるで顔が似てないのに、身体の中から湧き上がるスピリットがクリソツなので、似ている以上にヤキつく。
メインキャストは勿論のこと(食事会の一幕を演じ始める野郎ども!)、美術のディーン・タヴォラリスや、ガンコ“カメラ”親父ゴードン・ウィリスまで、ハッキリ特徴を取り入れている、その拘り振りが素敵なマジック。

7話
この回のオープニングは、ボブ・エヴァンスがマックィーンに寝取られた大失態でした。またパチーノが降ろされそうになったり、コッポラとゴディ(directors of photographyゴードンウィリス)が大喧嘩したり、コレまでで最高の回でした。

さてこのドラマ・・・どいつもこいつもホント“似ていない”!・・・顔が!
しかし!なんと、見かけじゃなく、身体の内側から湧き上がるモノを奇跡的に画に抑え、その人本人のそれを目の前に現出させている。何という演出、何という執着だろう。
そんな事をより、再度思いました。

もう、マーロン以上にマーロン、アル以上にアル、若干、意味不明な、無意味な表現になったが、その凄まじさに感動した。
本作のそっくりさん大会こそ、21世紀的な“そっくりさん大会”だ。見かけでは無く、演出と演技者の湧き上がる熱情の拘りが凄すぎる。
因みに有名スタッフまでクリソツなのが、加速して、全くもって微笑ましい。
カメラマンの頑固オヤジ・ゴードン・ウィリスの短気さと天パー具合と似合わないジーンズ(この人、「2」でコッポラと決裂し、ウディ“チビ禿ユダヤ”アレンに乗り換え、絶頂期の名作たちのあのNYの柔らかい光を書く人ですね)、また美術監督ディーン・タボラリスの二枚目ぶりも笑えます(今でもコキ使われていて、凡才の娘の映画までやらされてます)。
またボブがホント、瓜二つなのは当たり前に解り易く、会長に「大根役者だった君の演技論なんて信用せん!」と言われて、ションボリも笑えますが、このボブ・エヴァンス、ホント、出鱈目な阿保に描かれつつ、プロデューサーの鑑の瞬間を、ここぞと言う時に外さない器量と勘を、ビシッと描いているのも震えました。

そして、どんな会社組織でも当て嵌まる
“パブリック・ドラマ”
だから、移入し易いのですね。
会社や仕事に疑念を抱いている人は、余りにも現実的で、嫌になるでしょう。
それだけ、この50年前の時代劇が、今の我々を照らしている、という事なのでしょう。見事なadaptationです。

ああ、至福の時、躍動感マシマシ。
あと3話で終わってしまう、のか・・・

8話
冒頭、ボブ・エヴァンスが面倒くさそうなイカツイ脚本家と話をしている。彼が語る新作のホンは、
LAの命の源“水”についての陰謀の話だ!!そう熱っぽく語っている。二年後、本作でオスカーを獲る事になる脚本家ですね。
さてボブは早速ノコノコとNY本社へ飛んで、お馴染み鬼社長にピッチするのだが、コンセプトやテーマがHi blow過ぎて、勢いで来たはイイが、巧く話せない・・・
ボブは只管連呼する「主役はニコルソン。兎に角、ジャックなんだ!!」
痛快な第8話の幕開けだ。
粋です。

この作品を観てると、ホント、LAがNYの“植民地”であることがよく解る。今でこそ、ハリウッド!と大きなツラをしているが、所詮は、本社NYの植民地で、出稼ぎ機関でしかない。
そんな基盤と地盤が強く意識されていて、感服します。
(NYエジソン・パテントから遥か遠くへ逃げてきた。雨が降らないと言う取り柄だけの乾燥した土地・・・そこがやがて聖林と呼ばれる一大都市へと変貌)

ドンが撃たれ、ボブはボブでアホな墜落をし、このドラマ、どうなってしまうのか!?
って、ゴールは変わらないんだけどね。

9話
よく出来たドラマシリーズは、最終話の前の回が感動的なものだ。

「歴史なんて書き換えたくない!見苦しくてもこれが自分の歴史だ」と、イイ加減でお調子者のボブが言い放つ時、LAの温かな陽光がまるで後光の様に輝いた。

撮影も終盤、そして編集に至る中、
“独創性”とは何か?に思い悩む映画人たちの姿が、彼らの人生へと、彼らの意地にも似たアイデンティティへと直結する。
映画と人生が、ハッキリと一つになっていく有り様は、感動的であった。
それはマフィアたちに用意された特別試写において、エモーショナルに感情を揺さぶられるゴロツキたちの表情に表れ、まるでニューシネマ・パラダイス!
映画は、すべての人間へ平等に“しあわせな体験”を送り届ける装置である、と痛感する。

ラスト、お馴染みのレストランへと(久々に)颯爽と登場したボブ。彼は自身の特等席ではなく、憎っくき本社重役が一人で居る狭い端の席へと座る。そして、メニューにない“サーモン”料理を顔を効かせて頼んでやるのだ。
その重役は、前のシーンで、身の程を知った直後である・・・「エヴァンスは頭痛の種だけど、才能は否定できない。態度も口も悪いが、優れた直感の持ち主だ」と社長に本心を語った。
“独創性”を軸に戦い、己とも闘った、その勇姿が光る。
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