Oto

silentのOtoのレビュー・感想・評価

silent(2022年製作のドラマ)
3.5
『CODA』『ドライブマイカー』など近年の名作で描かれる「ろう者」という題材を、坂元裕二的な世界観で描いたという印象。聴こえた時代との対比をしている作品は今までなかったな...。
三角関係を加速させるのが障害になっているというなんとも残酷な物語で、よっぽどの覚悟を持って作っているのがわかる。

ep1

脚本の生方さんのデビュー作を前に観ていたけど、やはり発見と共感のある言葉を書く作家で、「今思うと学校というのは凄い場所だった、嫌でも週5で行く場所で、嫌でも週5で好きな人に会える場所だった」「人のために優しさ全力で使っちゃって、自分の分残すの忘れちゃう人で」など、好きなセリフが多い。

監督志望でNCWに通っていたのもあってか、空間の使い方も上手で、篠原涼子と階段ですれ違う、iPodを階段の上から落とす、など立体的な芝居につながっている。高校の回想でスマホとiPodが共存しているの時代がよくわからないけれど。

テーマに直接的に関わるシーンである、手話の先生との会話(ヘラヘラした聴者、絶対に優しい人だという偏見)、想との再会(楽しそうに話さないで、嬉しそうに笑わないで、お前うるさいんだよ)がしっかり見せ場になってるのもさすが。

前半は既視感のあるシーンや芝居が多くて(カフェで女友達と会うシーンとか特に)おや?と思ったし、2010年前後の青春恋愛ものを観ているような恥ずかしさがあったけど、後半の畳み掛けで持っていかれた。

そこまでの伏線も効いてる。『花束』のオマージュの域を超えているイヤホン、雪や雨に対する「うるさい」「静か」という反応、作文の朗読という出会いなど、冒頭からずっと音・声に関するモチーフを執拗に提示している。というか青葉は音で世界を見ている人なんだな。

「魔法のコトバ」から引用された「また会えるよ、約束しなくても」というセリフがあったけど、書くときにテーマソングを設定しているらしい。街の設定も明確で、下北〜世田谷代田あたりの見慣れた景色がたくさん出てきて『街の上で』のような楽しみ方もできたけれど、そこも坂元イズムを継承している。でも明確に新しい場所を選んでいるし、そのせいもあって、みなとに自分が重なりすぎて辛い。世の中、話が違うじゃん、ってことばかり。

今泉さんもつぶやいていたけど、川口春奈の受けの芝居が見事で、俳優陣の芝居を引っ張っているし、相手まで上手く見せてしまうというすごいことをやっている。その証拠に、男だけの飲みの席での単独芝居とか結構「型」っぽい芝居で違和感が強い。

ある程度先が予想できる設定だけにそれをどう超えてくるかが楽しみ。宣伝にかなりの予算かけているし、スター脚本家&時代の作品を生み出すんだというフジの本気を感じる。

ep2

聴覚を失うまでの回想の前半(全てを持つ人が全てを失う過程)と、聴覚を失ったことを知った青葉が想に寄り添っていく後半。

二つの年代を描く名作は多いけど、やはり過去を伏線にできるのがいいところ。「電話して」「声が好き」と伝えたことの残酷さとか、「好きな人がいる」の切なさとか。

自動書き起こし→手話というモチーフの変化が起こるのも視覚的で良いし、回想とはコミュニケーションの取り方が物理的に変わってるのも変化があって飽きない。

やっぱりドラマって1話ごとにある程度区切りをつけるから、「今は優しくしてくれる人がいるから会ってほしい」の流れで、なるほど三角関係解消か?と思わせて、そうやって会ってるのを知らないみなとが居合わせてしまうという、微妙なすれ違いを起こして次に進む、という展開になっている。

だからというのもあるけど、個人的には、みなとが「三角関係を進めるための駒」になりすぎてるのが気になって、いくら過去に"譲られた"負い目があるとはいえ、素直にLINE教えるかね?手話教室行かせるかね?と思う。

みなとの了承の上とはいえ、空白の時間を想たちが埋めてくのはたしかにハラハラするんだけど、この回に関してはそこにご都合主義を感じた。セリフはすごく良いもの多くて、「新しいスカートだね」も想のためにおろしてるじゃんっていう悲しさある。

ep3

パターンがわかってきた。回想と現在をセットで描いていくのか。そうなったら当然カップルの出会いを描くことになるよな...。

先週無理して働いて今週しっかり身体壊したので、「無理してやったことって無理なことなんだよ」が刺さった。みなとの仕事を意図的に描いてない気がするけど、会社前のシーンが出てきたな。

「今好きなのはみなと、佐倉くんはちがう、好きじゃない」じゃないんだよっ。青葉がわがままの自己満で、ふつうに応援できなくなっていくんだけど、妹が代弁してくれたことで許せるようになる。「なんかちょっとイラっとするよね、気分いいのかな、今まで何があったかも知らないで、久しぶりに再開して、あなたのために一生懸命手話覚えますって。自分はその間、みなとくんと仲良く楽しく呑気にヘラヘラ生きてきて...」

タワレコのゴミ捨てのしょうもないなすりつけあいのシーン、めちゃ坂元イズムを感じた。日常の時間軸でちゃんとシーンを描き切る(日本のドラマ的にどんどんシーンを展開していかない)。

ラストの意外な展開も良い。みなとの葛藤の重心が、青葉との恋愛よりも、想とのディスコミュニケーションにあるんだなということが、なかなか自分には共感できないんだけど、もはや恋愛関係にも近い友情なんだな。想との過去があまり描かれてないから、なぜそんなに...?ってことも思ってしまうけど、次回かな。書き起こしアプリ入れちゃった。

ep4

「みなと」を発するシーン見事だ...。いかに展開がつくりやすい良い企画かということがわかる。CODAでもあったけど、沈黙の演出が白眉。

みなとがあまりにも仏すぎて行動がいちいち不可解だし、そもそも手話を習うのを容認してる時点でおかしいんだけど、通訳として呼んじゃってるって時点でもう心は決まっているし関係性は終わっていたんだと感じた。

自信がない人間ってこういう風に見えるんだな〜と発見があった。もっと意地悪になれよ、人間らしく感情伝えちゃえよって思うんだけど、いざ自分を振り返ってみると、こういうことやってきたな...。チャンスでわざと逃げたり、なぜそんな簡単なこと言わないのってことを繰り返すのが人間。

映画も音楽も好きだけど、「おれ全部つむぎの好きでいいよって言うからつまんなかったと思う」はちょっとわかる。優しすぎるは欠点。

自分が撮影に通りがかったのは犬と公園で戯れるシーン。割と直近で撮っていたので、結構自転車操業なんだなと思った。

ep5
台詞の精度がすごい。『アトムの童』一話切りしてしまったけど、レベルが違う。企画とか構成とかもはや重要じゃないな…。

ポワポワのくだりも凄く良いし、好きな人が言う可愛いは強いから威力が、までの髪留めのくだりも。

寝顔のトランジションも見事だけど、相変わらずみなとの芝居のブレは気になる。。

ep6
脚本の先生が「主人公と話し相手を決めないと物語は定まらない」という話をしてたけど、明確に想とななの回。それに従って、ろう者の問題・葛藤が浮き彫りになってる。

このドラマ主演の二人が基本的に応援できないのが珍しい。青葉はみなとの感情無視して想のことばかり気にしてるから好きじゃないと思われて振られても仕方ないし、その後に及んで相手の状況気にせずに呑気に手話習ってるとか言っちゃうし。「プレゼント使いまわされた気持ち」とか本当にそうだよなと思ってしまう。

青いバッグを象徴とした「叶わない夢」のシーンもすごく切ないし、アラームで振動を伝えてからのラストシーンも見事。振動は伝わってるんだね。

ろう者が筆談で書く「聞くよ」の威力...。「聞く」っていうのは相手の声を聞こうとする姿勢を指すのであって、耳を通して「聴こえる」ことよりずっと価値がある...見事。

ep7
青葉の無神経さ(まっすぐさ)は長所と短所の裏返しで、アンチも増えていると聞くけど、たしかに危ういキャラクター。わざわざ手話に翻訳してもらって気持ちを伝えるような真摯さによって認められているのは素晴らしいけど、結果的に奈々から奪ったに変わりないし、モテる人間のいやらしさは拭えないなと思ってしまう。一方で、「お裾分け」「フラなくていい」と言えてしまう奈々への応援が募っていく。

これだけ無音が多いドラマってそれだけですごく画期的だなと感じる。子供を持ち上げるシーンもすごく特別なことが起こっているわけではないのに、丁寧に描けば成立するんだな〜と感心した。「伝わった?」は異星人との交流みたいで面白いな。

ep8-11
正直失速したと感じて、感想止まってしまっていた。

理由はなんだろうと考えてみると...

・青葉と佐倉の間の障害(奈々や湊人や親との関係性から生まれていたもの)がなくなってしまって、ろう者と健聴者というずっと描かれている問題以上の出来事がないこと。ただ二人がウジウジしているのをずっと見せられて、特に新しい展開もなくて、さすがにネタ切れ感がすごかった。連ドラ初めての作家だから仕方ないとも思うけど、無理に11話作らなくてもよかったのではないか。製作陣も「5話がベスト」という話をしていたし。

・TVerで火がついて、TiktokやYouTubeでも細かい考察が溢れたからなのか、大きな流れがないのに、小さな仕掛けばかりが充実していて、そこもなんだかなぁという思いがあった。「恋愛ドラマではなく言葉のドラマなんだ」というのはその通りだと思うけど、手話を覚えた健聴者のきっかけだってほとんどが恋愛だしなぁ...。母親が登場したりということはあるけれど、脇役がどれだけ盛り上がっても脇役でしかないなぁと感じた。映画以上にインタラクティブな生き物だからこその難しさを感じた。

字幕だけの静かな会話を長時間描いたりすごく斬新な作品だと思うし、最後はちゃんと「原点回帰」を見せて、なるほど佐倉くんの声ではなく想いが好きだったんだなぁと感じられたのは良かったけれど、声を聞かせない演出とかもちょっとあざとすぎるし、終着点が「お裾分け」でいいのかな、って不完全燃焼が否めない...。

生方さんの「日本語がわかる人に向けて作っている」という発言の炎上、この作品の「言葉が通じなくても想いは伝わる」というメッセージを打ち消してしまっているので、たしかに残念だな...という思いもあるけれど、作家って「こういうものだ」という偶像を勝手に作られてしまって、それを裏切ると批判を浴びるってすごく残酷だなぁとも感じる。
Oto

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