どよう

麒麟がくるのどようのレビュー・感想・評価

麒麟がくる(2020年製作のドラマ)
2.8
とにかくギリギリのラインで何とか見ることができている。架空の人物がとにかく合わない。戦国時代の庶民の生活を見せたいのかもしれないがそれなら天皇・関白・将軍と庶民が関わるシーンは何なのか。そういう記録でもあったのだろうか。東庵・伊呂波・駒の時間がとにかく苦痛。
片岡鶴太郎さんの摂津晴門は演技が過剰ですが大河らしくて味があります。あまり注目されなかった存在ですが面白さを感じました。佐々木蔵之介さんの秀吉も初登場は年寄りすぎると思いましたが家臣となってからは胡散臭い感じがとても合います。滝藤さんの義昭も揺れる感じが流石です。

今35話を見てますが延暦寺焼き討ちでの活躍を認められてとのナレーションがあったが命令に反して女子供を逃したにも関わらず活躍を認められるってどういうこと?これはもう信長が光秀に対して特別な感情を持っているとしか思えない。本能寺の変は痴情のもつれが原因か!
そして駒に諌められる将軍。なぜに摂津は将軍のコントロールに邪魔な駒を放置するのか。

後は忘れ去られた斎藤家。交戦的な朝倉義景。名前だけしか出ないその他大勢のモブキャラ三好家。

ここまでみんなから好かれて頼りにされる光秀がなぜ本能寺の変では有力大名から協力を得ることができなかったのか。今後の展開を楽しみにしましょう。

最終回終了。
子供時代も描かれず。死ぬ間際も描かれず。光秀について思うのは東庵、駒、太夫など庶民のみ。最後まで天皇や関白、将軍など有力大名との繋がりのある特別な庶民の物語でした。明智光秀についてはただただ淡々と俯瞰的な視点で肝心なところをぼやかす適当な扱い。攻めていたのは本能寺の変を家康や秀吉が予見できる情報を得たというところぐらいか。家康も光秀を特別視する様子はずっとありながらも特に関わらず。結局細川や筒井が動かない理由も特に語らずナレーションのみ。年越ししてまで規定の話数を使ったのに打ち切り短縮みたいな最終回でした。これならもう題名が本能寺の変でいいじゃないの。麒麟についても視聴者の想像に任せるというぼやかしっぷりだしね。というかどうせここまで適当ならナレーションでガンガン進めて年末に本能寺の方が視聴率も良かったような、、、コロナのせいでこんな形になって残念なら納得もできる。

本能寺の変については力が入っていました。信長は弓に槍に一騎当千の奮闘に対して光秀は馬上でひたすら傍観。どうせなら道三のときみたいに信長と光秀一騎打ちでもやったらよかったのに。信長は敦盛をやらず、「是非もなし」のタイミングをもったいぶりました。信長自害は大晦日の曙を彷彿とさせる斬新な切腹です。

これほど最終回らしくないのは初めてです。大河を1年間通して見て最終回で感動しないのも初めてです。次の大河は総集編などを挟まずすぐ始まるのもあって終わった感じがしません。
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