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リハーサル -ネイサンのやりすぎ予行演習-の69のレビュー・感想・評価

4.7
一体何を見せられてるんだろう…?

端的にいえば「同化する」話であり、ネイサンフィールダーは、頭がどうかしている。

以下、個人的に親和性を感じた他作品のテーマにも若干言及します。



自分を見失うという点では「ロストハイウェイ」であり、チャーリーカウフマンの「脳内ニューヨーク」であり、「コングレス未来学会議」でもあり、他者というわからないモノを理解するために、(あくまで主観が作り出したイメージで)他者に同化しようとする「惑星ソラリス」でもあり(特に「これはリハーサルのシーンである」と言わんばかりのセットの引きの画はソラリスのラストそのものに思える)、スピルバーグの「A.I.」の要素も感じつつ、ひたすらにネスティングされた構造の中で繰り返されるトライアンドエラーはある種のタイムリープとも言えるかなと。そして、全体を通してとにかく構造が超ハイパー入れ子(ネスティング)構想。

例えるなら、誰しも経験があると思うけど、仕事で調べ物の必要がありWikipediaで調べはじめたところ、いつのまにか本来調べたかった物事から脱線し、気づいたら色々なリンクを潜りまくってしまっていて、そもそも本来何を調べてたかを失うときがある感覚に近いかなと。まさにその感覚をドキュメンタリー仕立てに仕上げた超現実的なドキュメントでありフィクション。表層的なモキュメンタリーではないと思います。

ザ・カースもそうだけど、ある種の無宗教的なスタンスにて、人生やこの世の理における「意味のなさ」を極限まで突き詰めることによって、逆説的な人生の真理や尊さを気づかせてくれるような作品かなと。(褒めすぎな気もしますが、、、)

「リハーサル」は、タイムリープと異なり、実際の人間が演じている以上、リハーサル役の人間も当然生身の人生があるわけで。これは、ドラえもんの「ドラえもんだらけ」の回ように、呼び出した相手は自分の都合で召喚したけども相手は「デジタル」でも、「コピーロボット」でも「アバター」でもなく人格や意思を持っている、という事を突きつけられます。

結局のところリハーサルは「現実の繰り返しでもシミュレーションでもない」という真理を描きつつも、演じた役者、そしてネイサンフィールダー自身も含め、我々は「人生」という名の役者とも言える、というテーマとして受け止めました。

なんらかしらの興行やエンタメにおける「リハーサル」と異なり、人生のイベントを「リハーサル」として体験する事は厳密にはできない。生きている事は常に生放送(ライブ)でしかないから。
それでも、僕らは他人の気持ちを理解したく、いつも(脳内で)相手の立場を(おこがましくも)シミュレートしてしまう。でも、それって悪いことじゃないよね?

…っていう、最終的には果てしなくシンプルなメッセージとして受け止めました。

ラストが泣けました、
非常に面白かったです。
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