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THE CURSE/ザ・カースのマのレビュー・感想・評価

THE CURSE/ザ・カース(2023年製作のドラマ)
4.8
社会と人間同士のコミュニケーションにおいて発生する"全て"の不快要素をコメディとして永遠に置き続ける、笑っていいのか戸惑うほど酷いネイサン・フィールダー演じるダメ男と(4話のラストで絶句)、ナチュラルな加害を恐ろしい演技でし続けるエマ・ストーン、「現代でも植民地主義は続いてるんですよ〜」と言いながらポスト植民地主義を無自覚に実践し続ける主人公達 を幽霊のようにジトッーっと見つめさせられる怖さ、そのリアルで生きる人々。現代アメリカ社会における、最早当人達の自己満足以外に意味を成してない 歪んだリベラル化を徹底的に解剖していく... でも だからと言って別に右翼的な作品でも作家でも無い ただこの世の苦しみに対して誠実。故に描かれる事はあまりにも怖い。

タイトルロゴの出現や家の外壁に鏡として写る、世界の歪みに対しては気づかないまま生きてきた夫婦。1話〜9話まで社会の中で加害者として自分よりも立場の弱い他人をコントロールし 無意識かつ無邪気に捻り潰して来た2人は 番組を得て、妊娠して、この世界における「善意」の意味に触れかけた... からか、未来へ 次の世代に少しでも苦しみを和らげる為 一緒にとある試練へ立ち向かう... にしても言葉を失った。

久しぶりに本当にグロテスクな作品を観た。無限に続くアメリカ社会の というか"社会"のリベラルへの欺瞞に対する露悪と、苦しみと、対話の地獄でしか構成されてない。勿論主人公達は自分のグロさに本当にギリギリまで気づけない 感覚的な面でしか気づけないけど、それを他人事だとは全く思えない ここに何を書こうとこの作品の視線には怯える。

制作陣でありながらも主演として自ら矢面に立ってるエマ・ストーン、ネイサン・フィールダー、ベニー・サフディでさえ この作品の社会に対する視線には(製作者だけど)怯えるしかない気がする。良くないと分かっていながらも、ついアカデミー賞2024で起きた事を邪推してしまうし、ネイサン・フィールダーやベニー・サフディが現在イスラエルが行っている事へ ユダヤ系として特に主張が無いことも 「主張しない」という主張として捉えてしまう。勿論 言えないという事も分かるんだけど。

だからこそ、社会の醜悪な歪みと苦しみに対しては、例え歪みと苦しみを生み出している人々でさえも、ソレに気づいたとしても 気づいた気になっているだけで加害者である事には変わりなかったとしても、抵抗する事は不可能に近いんだと思う。だから少しでも 虚無的でも、希望を願うしかない。誰も落下には抗えない けど、それでも入れ替わるように子供は産まれてくる。どういう感情になるべきなのかすらよく分からない...


ただこの作品を最後まで見て「いやーやっぱリベラルとかポリコレってしょうもないねんな笑」で終わっちゃったら何の意味もないと思う。
社会におけるリベラル的欺瞞の苦しみに対して するべきは冷笑ではなく この作品から飛ばされるような視線を考える事、右翼だろうと左翼だろうと。自分はリベラル的な価値観、"ポリコレ"/woke的な価値観を感情に結びつけながら持ってる人間として 心の底から怯える。
マ