なつふじ

セックス・アンド・ザ・シティ シーズン6のなつふじのレビュー・感想・評価

4.5
一番子供がほしいシャーロットに不妊治療の過酷さを、一番美しい女&生涯現役(意味深)であることにプライドを持つサマンサに乳がん切除と放射線治療による性欲減退・抜髪を……
こんなシビアでハードな展開を、初期に誰が想像しただろうか。
シャーロットが捨てられそうな犬のエリザベスに自分を重ねてしまう瞬間と、自分の髪も剃るスミスのイケメンっぷりは、何度見ても泣いちゃうね。

タイトルに「セックス」とあるように、そして実際、このドラマの中心シーンが女達が出会った男とのセックスについてのお喋りであるように、一見すると、「セックス(恋愛)」がテーマのように思える。
しかし、たくさんのセックスが描かれるということは、それだけたくさんの男たちと出会い、そして時に恋をしているということで……

逆に言えば、このドラマは、男との別れを描くシリーズでもあり、このドラマにとって男とは、女にとっては一時的なパートナーなのである(ラストこそ、オチをつけるために皆固定のパートナーを持つことになるけれども)。

一方、男がシーズンを通してどんどん入れ替わるのに対し、主要人物4人の女性は、6シーズンかけて、ずっと変わらない。これだけ長く続くシリーズなら、普通は途中で新レギュラーキャラが追加されるものだろうに。

そう、このシリーズは、女にとっての「(移ろいやすい)男とセックス」を描くことで、逆説的に、「(不変の)女の友情」を描いているのである。

だが、このファイナルシーズンでは、友情だけに飽き足らず、女の人生と、そしてより包括的な「愛」を描くシリーズへ昇華される。

家族愛、友愛、利他愛、恋愛、自己愛……
ミランダが姑からキスされるシーン、マジで何回見ても泣いちゃうし、サマンサが撮影中のスミスに電話しちゃうところ、たぶんシリーズで一番キュンキュンする。

ところで改めて思うのは、安野モヨコの『ハッピーマニア』との関わりである。
上で書いたSATCという作品の特徴は、ハッピーマニアにもまんまあてはまる(故にどちらも、男が見る・読むと女性恐怖症になりかねない作品である)。

何より

「私は恋愛至上主義の女。本当の愛が欲しいの。馬鹿みたいに振り回されても。消耗しても。それでもお互いがいなきゃ生きていけないって」

というラストのキャリーのセリフは、まさにハッピーマニアのシゲカヨの生き方そのもの。

シゲカヨもキャリーも、結局は、幸せになった瞬間より、幸せを追いかけている瞬間の方が幸せを感じられる、"ハッピーマニア"なのである。

面白いのは、連載・放送時期がほぼ同じ(実際にはハッピーマニアの方が早い)で、この日本でアメリカでほぼ同時期に似たような思想の作品が生まれ、それがブームになったことである。
(なんなら最近になって始まった続編のタイミングまでほぼ同じだ)

ただし、この2作品が同じテーマを描いているのはあくまで途中までで、ハッピーマニアが初期の路線を貫き続けたのに対して、SATCはファイナルシーズンでは、よりシリアスに、しかしファンタジーな物語に帰着する。

不妊治療、ガン、妊娠、介護、離縁……等々のシビアで現実的なストーリーが描かれるようになるSATCだが、最終的には皆、大団円的な幸福を手に入れる。一方ハッピーマニアは、最後までふざけていたが、リアルな終わりを見せる。だからこそ、満足感いっぱいのラストを迎えたキャリーに対し、シゲカヨは、「あー彼氏ほしい」と言って終わるのである。

SATCの続編は見れていないのだけど、『後ハッピーマニア』と比較して見てみるとまた面白そう。

ところで、今回見返した際に、DVDBOXの特典映像初めて見たんだけど……別EDが想定外過ぎて笑った。
こんな世界線もあったのか。サービスで試しに撮っただけなのか、それともこのverの脚本も存在したのか……
あと、「最終回直前スペシャル」にイヴァンカ・トランプ出てて笑った。そういえばお父さんもシーズン1に出てたっけか。
「脚本家によるパネルディスカッション」も面白かった。サラ・ジェシカ・パーカーがここまで深く脚本に関わっていたとは。確かに明確な個人の原作がないから、役者が一番そのキャラのことを理解しているんだよな。

最後に、令和の今に見て面白かったところをひとつ。
第7話で「電話で別れようって言われるのも酷いと思ってたけど(ポストイットでフる方がもっと酷い)」ってセリフがあるけど、なるほど今で言う「メール(LINE)でフるなんて」という文化は、エアメール存在以前からあったんだなと。

ドアマンに伝えられるのは……マジニューヨーカーすぎるが。そしてマリファナを嬉々として買いに行く弁護士も、マジニューヨーカーである。
なつふじ

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