*遠慮なくネタバレします
*徐々に書いていきます
【総論】
特撮ヒーローの王道を、丁寧な助走をつけて描ききった名作。
【各話感想】
・第35話「反乱 -リボルト-」
3代目デュナミスト千樹憐のターニングポイントであり、そのことが言語的な表現を超えて表情や身体的な演技に反映された最高の回だと思う。
憐の意識はいくつかの段階を経て36話での光の継承に到達している。
(1)自己への強い関心:防衛機関直下のアカデミーでデザイナーベイビーとして生まれた憐は遺伝子的な欠陥を抱え、16歳頃に全身の細胞がアポトーシスを起こすという運命を背負わされていた。特殊な出生と生育環境も手伝って、この頃の憐はいわば自身の生き方への疑問を持ち、やがてそれは自己からの逃避願望になっていく。
(2)周囲へのケア感情:憐は結局、アカデミーの施設を抜け出して日本に密航し、遊園地で住み込みのアルバイトとして暮らすようになる。これは「俺のことを知っている人が誰もいないところに行きたかった」という願望が成就したものであり、ひとまずの安らぎを彼は手に入れる。ここでは、バイトの同期や上司、遊園地の訪問客との交流によって彼は自身への関心を忘れることができ、出生の秘密についても冗談めかして話すことができるまでになっている。幸せな逃避が実現している。
(3)自己犠牲的なヒーローとして:そんな憐のもとにウルトラマンネクサスの力がやってくる。ウルトラマンとなること、そして怪獣(スペースビースト)と戦うことの意味は明示されない。光を継承したときに憐は、ウルトラマンが自分の事象を全て知っているということを直感する。おそらく憐はこの時点で、光を継承した意味を、目標として意味ではなく、理由としての意味で捉えている。つまり、先の短い自分であれば、自分をケアして戦闘から逃げる必要もないし、家族もおらず、知人も少ない自分であれば万が一のことがあっても、悲しませる人は最小限で済む。誰かがウルトラマンとして戦わなくてはいけないとして、自分がその誰かになることは、リスクの少ない合理的な選択である。そのように考えていたのかもしれない。
この意識段階が概ね35話まで続いている。だからこそ、自分自身を顧みることのない戦いは早期からナイトレーダーにも気づかれ、西条副隊長が苦言を呈するなどの描写がある。
(3.5)この意識からの転換が35話での西条凪との会話で起こる。そもそもの遺伝子的欠陥、連戦、さらにはTLTによる人体実験で疲弊しながらも街で暴れるビースト・メガフラシとの戦いに赴こうとする憐に対して凪は「このままの戦い方では、あなたはビーストを倒せない」と語りかける。
「あなたは今まで、死んでもいいと思って戦ってきた。だからダメージを顧みることもなかった。死んでもいいと思って戦うことと、死ぬ気で戦うことは全く別のことよ。生きるために戦いなさい。たとえ明日がなくても」
凪自身が幼いころにビーストに両親を殺され、その憎しみで自分の身を顧みることがなく戦ってきた。これは推測だが、この時点でナイトレーダーは上層部によって「新宿大災害」やザ・ワンおよびウルトラマン・ザ・ネクストの存在が秘匿されていたことを知って動揺している。自分たちの基盤が揺らいでいる。凪に関してはさらに、ダークサイドから帰還しつつもウルトラマンを庇って命を落とした溝呂木の件も大きく響いている。あるいは、溝呂木が命を落とすことを「卑怯だ」と言ったことを自分にも当てはめているのかもしれない。
総じて、自身の戦いの意味を見届ける責任を感じていたのではないだろうか。彼女ははっきりとビーストの殲滅の使命感を持ち続けており、生きることが目的ではない。しかし、この時点で、目的のために命を捨てることを拒否している。目的を生きることに優先させるのではなく、生きるということを放棄してはいけない。このような意識の変化を経て、上記の憐への言葉が出たのだろう。
(4)西条凪の言葉によって、憐は4段階目の意識に至る。激しい自己への執着がこの意識の核なのだと思う。自己の存在の無意味さの苦しみから逃れるために一度外に拡散させた意識を全て自己に向け返している。
当初、ナイトレーダーは憐を安全なところに置いて、市街地で暴れるメガフラシを討とうとしてた。それに対して孤門が「ここにおいていってもどのみち憐は市街地に向かう」と、妥協案として憐を同行させることを提案し実行しようとしていた。ここではまだナイトレーダーの面々は、憐を連れていくことに完全に納得していなかったのではないだろうか。ところが、憐のこの意識の変化によって納得が得られたのだと思う。のちの戦闘での連携にそれが現れているように見えた。
ともかく、ここでの憐の変身からの戦闘が最高にかっこいい。夕陽を浴びる市街地で暴れるメガフラシ、逃げ惑う人々のなかに佇む憐。ひとこと「生きるために」。続いて渾身の抜刀でネクサスに変身する。光の中から現れるネクサスの演出が一段と静かで力強い。着地して、メガフラシに相対するときに手足の先まで力がみなぎっている。力んでるといってもいい。いままで生きるために戦うなんて考えもしなかった憐が決心を固めつつも、具体的にどう戦うのか、戸惑ってさえいるようにも見える。最終話にも言えることなのだが、変身者の心情をウルトラマンのスーツアクターが見事に演技に昇華させている。また、BGMが「レクイエム」なのだが、捨て鉢で戦っていた自分を葬って、新たな自分として戦うという意味を読み込みたくなってしまう。