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警部補 古畑任三郎 2ndのYMのレビュー・感想・評価

警部補 古畑任三郎 2nd(1996年製作のドラマ)
5.0
見直し企画もようやくS2。2ndシーズンがいちばん好きなのかもしれないなあ。自信がついたのか、S1よりも「ミステリ」を、そして「遊び」を、という思いの強さが伝わるし、3rdシーズンよりもキャラクターの使い方は上手い(とくに今泉)。好きな分、きちんと覚えていて、再鑑賞として楽しめた。

Ep.1「しゃべりすぎた男」(明石家さんま)★★★★★
この回、いちばんハマったといっても過言じゃないほど、「花瓶~~??」のところだけくりかえし何度も観た記憶がある。ペリー・メイスンばりの法廷劇で、素晴らしいのはまず展開のテンポ、そしてなんといってもこの古畑と小清水の緊張感。一説によれば、法廷シーンではNGをイジったさんまに激怒していた田村正和が、返す刀でアドリブのセリフを入れはじめるなど、ある意味では場外乱闘の結果であのスリリングなシーンができあがったとのこと。たしかに、なんとなく役を飛びこえ素で言い争っているかのようなヒリつく感じは存在している。
今回には古畑が珍しく努力しているところを映したシーンがある。裁判記録を読み込むがそれだ。あとのシーンでは「知恵を振り絞った」とまで言っている。そこから、法廷に場面が転換し証言台にいくところまでのメインテーマをバックにした流れは、かつて『真田丸』でも多用されたような、ここぞというときに「お約束」を極限までカッコよく演出する三谷幸喜らしい流れだ。
いつもの「視聴者への挑戦」でさえ、今回はキマっている。
  裁判長「証人はそれが誰なのか名前を挙げられますか?」
  (いつもの暗転時の音楽)
  古畑「小清水先生です」
  (ざわめき)
  小清水「証拠あんのかい!」
  古畑「あります」
──からのこちらを向き暗転、という流れは、S2の初回にも関わらず、飛ばしきった、これまででいちばんスタイリッシュな演出だろう。
1時間強のすこし長い枠だけど、それにしてもセリフの数が多く濃密な回だと思う。前半、小清水がずっと弁論を述べているさなかに、それをバックにして小高恵美が会話するシーンがあり、そこらへん脚本が贅沢。最後におでこ叩くのもいいが、個人的には「バラを差したんです」の”バラ”の巻き舌がツボ。ああやっぱり好きだなこの回。

Ep.2「笑わない女」(沢口靖子)。★★★
殺されるの、相島一之だったのね!ぜんぜん意識していなかった。要はオチの白湯のくだりと「それは貴女が……女性である証拠です」が最初に観たときでさえクサすぎると思ったことしか覚えてなかった。女性ネタでクサいのはまあまああるけれど、耐えられる、味に感じるものもあれば、山城新伍の回とこれは「さすがに……(笑)」と思ったりもして、そこらへん微妙なバランスだよなと。「戒律」で犯人の行動が縛られる、そして「嘘」を吐けないというのは、ゆくゆくはFINALのイチロー回でも使われるモティーフ。アリバイの仕掛けもたしかに面白い。そういえば、『刑事コロンボ』で陸軍宿舎に泊まったり学長と食事する回あったような。それの引用かしら。

Ep.3「ゲームの達人」(草刈正雄)★★★
なにはともあれキャスティングだよなあ。まさにふたりの二枚目スターの対決。トリックも「本格ミステリ作家志望」らしい凝ったもので、細かいパズルのような作品になっている。ほぼ欠点が殺される作家(おヒョイさん)側にあるのもいい。今回、古畑は、乾とはダーツだったりなんだったりといろんなゲームをしながら追いつめていき、エンドロールにおいてさえ、すぐに連行せず、ビリヤードに興じてしまう遊びっぷり。あと、隠れた才能をいろいろ発揮する今泉。ほんと、シリーズ前半はちゃんとしたキャラクターだよね、今泉。

Ep.4「赤か、青か」(木村拓哉)★★★★★
45分の使い方、かくあるべしと思わせるテンポの速さと説得力のきちんとしたバランスを持つ回。やっぱり出来がめちゃくちゃイイ。
時限爆弾に設定されるタイムリミットが一切の無駄を省き、古畑に余裕をあたえず、結果的に木村拓哉を手強い相手としているわけだ。「Ep.1 しゃべりすぎた男」同様に今泉を助けるという使命感に突きうごかされた古畑は、確信をつくためには木村に対しボロを出させるための賭けに出なければならない。古典的な「どちらの線を切るか?」のサスペンスもあわさって、裏の読み合いにおける独特の重層感を出している。
対決のクライマックス、砂糖を入れるときの手の震えだけは、古畑にとって演技じゃなくてほんとうの焦りなんじゃないか、と、「赤だ」は論理思考以上に勘(というか、ラッキカラー)頼みだったんじゃないか、のふたつはなんとなくそう思っている。だからビンタのあとの向島との会話の粋さが際立つわけで。そう、これ、「選択」が多層的に解釈できるようになっているから、非常にきちんとしたものに仕上がっているんだよね。今回のサスペンスのの緊張感とラストの粋さは教科書にしたほうがいい(私見)。

Ep.5「偽善の報酬」(加藤治子)★★★
ジョン・トラボルタの名前を聞くとこの回を思い出しちゃう(笑)。オープニング、電話を取るタイミングを伺うふたりの気配が面白いんだよなあ。袋の方を海に捨てちゃえば?とも思うんだが、中身のほうの証拠を今泉に消させようとするアイデアは冴えている。また、「加藤治子のような女性が撲殺に使える鈍器はなにか?」という謎一本だけで保たせているために、そんな構造のシンプルさのわりには、脚本のフォローによって物語としてかなり高い強度を持っていると思う。

Ep.6「VSクイズ王」(唐沢寿明)★★★
DVDで観るに限る回。
あのとき通報しておけば傷害致死か過失致死くらいにはなったような……。おそらく、古畑のクイズシーンやなんやらで尺を取りすぎてしまったのか、「ファルコンの定理は~」から一瞬で詰みまで持っていく解決スピードの速さは、石黒賢の「S1 Ep.9 殺人公開放送」並で、そういえばどちらもTVスタジオものだったなと。
実際に唐沢がおこなうトリックをちゃんと映しておいて、巻き戻すと「たしかに唐沢がいる!」とわかるように設計されている、というのは、ビデオ時代初期ならではの(一回限りではあれど)斬新な手。

Ep.7「動機の鑑定」(澤村藤十郎)★★★★★
何人も挙げてるけれど、やはりベスト回をひとつ選べと言われたらこれかなあ。澤村の追いつめられてなおまったく変わらぬ上品な語り口、所作がなによりも美しい。私も、こういう喋りかたにしようかしら(笑)。角野卓造のごちゃごちゃと誤魔化すさまも、澤村とのコントラストも効果的。うまく行けば角野卓造のほう逮捕してくれるんじゃないかと思ってしまったじゃないか。
「慶長の壺」の真贋によって左右される古畑の推理と、それによる”勘違い”はシリーズに名をのこす、粋なもの。
今回は「Ep.5 汚れた王将」の米沢八段・坂東八十助につづく梨園の俳優モノ。「汚れた王将」のレビューで「梨園モノにハズレ無し」と書いたが、今回もそれを証明するものであろう。ずっと和服でふるまいも上品なのに、リヴォルヴァーや日本刀を使ってあっさり殺す澤村藤十郎、ドス黒いところを閃かせる澤村藤十郎の残忍さは、シリーズいちばんの怖さじゃないだろうか。「蹲る」のアリバイ崩しも、あからさまに示されることも多いほかの回に比べれば非常にさりげなく上質。おヒョイさんと一緒で、角野卓造さえ余計なことしなければ……っていうか、あんなに早く「じぶたれ」って言わなければもうちょっと春峯堂さんも頑張れたんじゃないのか。なんとなく、そういう「勝てそう/逃げられそう」=”if”を予感させるのが、他の犯人にはあまりない特徴かもしれない。

Ep.8「魔術師の選択」(山城新伍)★
昔からこの回はあまり好きじゃなく、みなおすことも少ない。だって、クサいんだもの。演技においても、山城はべつに上手いわけではなく、棒読みで、おなじ棒読みでもまだ「Ep.7 殺人リハーサル」の小林稔侍のほうが味がある。とにもかくにも、「あなたほどの男性であれば片手でボタンを外すくらい造作もないはず」「せっかく開いた女性の胸元を隠そうとする男は肉親以外にはいません」はいまだに納得できない(笑)。そうかあ?マジシャンズ・セレクトの殺人への応用はまだ筋が通っているだけに……。

Ep.9「間違えられた男」(風間杜夫)★★★★
ジャニーズ木村拓哉ゆえの「Ep.4 赤か、青か」とおなじく、今回も再放送がなされない(「サザエさん」ゆえ)ため、DVDを掘りだして再見。やっぱりこの回好きだ(笑)。堺正章とか、鹿賀丈史とか、小堺一機とかに仕掛けた際の古畑のイヤラシさを、今回は45分ずっとたっぷり楽しめるわけだ。「私にいわせると妙に芝居っ気が強くて……」って古畑が言うの絶対ツッコミどころでしょ。冒頭あんなに頑張って密室トリックを作りあげたのに……肩透かしにしてはかなり贅沢。ドラマの枠のなかでおこなう三谷幸喜のお遊びのひとつの完成形といえましょう。

Ep.10「ニューヨークでの出来事」(鈴木保奈美)★★★★★
ほぼバスの車中で話が進んでいくだけなのによくNYロケをするよなあ。贅沢な時代。いまはなきワールド・トレード・センターのツインタワーが映るエンドロールが美しい。美しさでいえば、そう、今回は一遍のロードムービーかのような語りの美しさもシリーズ最高品質だ。バスのなかでの対話だけでミステリを解いていくという手法はなにより類を見ないものであるし、「私じゃなくって、彼女……」と毎回古畑を訂正(毎回訂正は言うまでもなく『古畑』の”お約束”)していたのり子・ケンドールが、最後にいたり「私は許せなかった……」といってしまう段になって、はじめて古畑は「”彼女”に会ったら伝えてください」とさりげなくつけくわえる……ここが脚本としてまず美しい。語るべきことはすべてて語った。そして終着点のNYでは、ふたりはなにか別れの言葉を交わすわけではない。ただ一度視線を交錯させ、あとは古畑がただずっと見送るだけ。これは、「Ep.5 偽善の報酬」の加藤治子がラストに言う「今のドラマはね、喋りすぎよ。ここぞというときは、なにも言わないの」を地で行くエンディングである。回想シーンを使わないのもちゃんとしている。同じ手法でもいまのドラマ、たとえば、『相棒』だったら過去パートと織り交ぜて作っちゃうだろう。そして、同様に犯人の懺悔を車中で受けとめたあとも、別れの場面では犯人の女性にダメ押しで感謝を述べられ、見送りながら冠城とコメントしあう杉下右京……の姿は容易に想像がつく。いまリメイクするとすれば、回想がなく語りだけ、というのは「わかりづらい」と思わせてしまうかも、という本当は杞憂であるべき恐怖を制作側は感じるかもしれない。なんにせよ、視聴者のリテラシーへの信頼と、テレビ全盛の贅沢さをタイムカプセルのように伝えてくれる。たい焼きと今川焼きの転換もフェア。納得させられちゃう。
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