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ふぞろいの林檎たちのmasatのレビュー・感想・評価

ふぞろいの林檎たち(1983年製作のドラマ)
4.5
37年ぶりにビンジウォッチしてしまいました。2時間の濃密な映画を見たような、あっという間の10話。そして、音楽が見事に心情を映す、まるでミュージカルのような展開を感じた。当時としては斬新なカメラアングルと冷たい光(照明)もいまだに新鮮で、さらに荒々しい編集も臨場感満点。それらを指揮する演出の気概は、圧倒的。釘付けにされ、乱暴に振り回された。
そのテーマ性も含め、当時中学生だった自分を形成したあらゆるものが詰まっていたと、この約40年を振り返ってしまうほど、衝撃的な作品だった。

また、今のドラマが如何に予定調和の上に成り立っているのかが、認識できた。先が全く読めない展開、我々は一体どこに連れて行かれるのだろう?と終始スリルを感じながら登場人物たちと並走し、思い迷い戸惑い笑う。ホラー映画は、その時、その時代が“なにを恐れていたのか?”を映す鏡だが、お茶の間で気軽に見れるテレビドラマは、その時その時代に“なにが幸せなのか?”を映すものではないか?。映画は遺るモノ、遺すモノだとすると、テレビはニュース、その瞬間を誰よりも早く伝えるメディア。そんな特性を持つメディアが作り出す“作劇”は、“いま共感するもの”なのではないかと、この躍動する10話が改めて教えてくれた。

しかし、最終回前の第9話、“鉄パイプとヘルメットで武装した学生らしい影”が登場するこのラストにお馴染みの「エーッリぃーーイ」コールが重なった瞬間、このドラマ、一体どう締めくくるんだよ!?と手に汗握ったが、翌最終話で、総勢11人をワンセット、ワンショットに見事に集め、収め、一瞬で片付ける、一瞬で撃ち抜く、その手際の良さに改めて感動した。
作劇とは、ヒューマニズムとダイナミズムが組み合い、その世界(観)へ見る者を誘い、巻き込みながら、もう戻れない感情を湧き上がらせるスペクタクルなのではないだろうか。自分の何かが変わってしまう瞬間を味わってしまうと言うか・・・
登場人物の彼らとそれを知り、それ見てしまう“畏れと歓び”に襲われる時間を、これからも求めたいと、50を過ぎた、永遠も半ばを過ぎた今、改めて感じました。
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