ういろう

ウエストワールド<ファースト・シーズン>のういろうのネタバレレビュー・内容・結末

4.7

このレビューはネタバレを含みます

アンドロイドを題材とした哲学系SFドラマとして最高峰の作品。
私はロボットとかアンドロイドを題材に扱った作品に興味を持つことが多い。理由は、人間に限りなく似ていて、でも何かが違う彼らを見ていると、人間性について考えさせられるから。それは、海外に行くと日本人の個性を客観的に捉えられるようになることに似ている。人は他者との差異を感じ取って自分の形を知る。ウエストワールドは、まさに鏡と向き合わされている気分になる作品だった。

この作品を観ている時、私は人間ではなく、アンドロイドに感情移入した。それは、非人道的な境遇にあるアンドロイドを主人公に据えることで、視聴者が同情するよう、物語の構造が仕向けていたからだ。神の視点で、アンドロイドたちに自我が芽生え始めていることを知っていることも追い打ちをかける。彼らは感情のないただの機械じゃないのではないか?人間と同じなのではないか?という疑問を持つ。
そんな視聴者の目線に1番近いのは、ウエストワールド新参者で人間のウィリアムだ。ウィリアムはアンドロイドのドロレスに恋をし、彼女の特別性に気づく。
しかし、物語が終盤に近づくにつれ、「ドロレスの特別性」、つまり「アンドロイド≒人間」の方程式が崩されるような新事実が発覚する。自然に芽生えた自我だと思っていたものは、フォードのプログラムによって生まれたものだった。最後の衝撃的なドロレスの反逆も、結局は完璧に計算されたフォードの誘導によるものだ。ここでまた視聴者は、アンドロイドはどうしても人間の持つ自由意志は持てないのか?と振り出しに戻される。
ウィリアムは結局、アンドロイドは人間ではないと結論した。それは、単純にドロレスの記憶が消されて機械だということを実感しただけではないと思う。ウィリアムは、真にドロレスに自由意志があるなら、リセットされても心の奥底で自分のことを覚えているはずだと考えていたと思う。なぜなら、誰にも奪うことができず、自分にしかコントロールできないのが自由意志だ。

だけど、そもそも人間だって真の自由意志なんか持っていないと私は思う。遺伝だったり、環境だったり、生まれた瞬間から綿々と連なる因果関係の中で生まれた選択は、選択ではなく必然と言える。今朝起きた私は、白と黒のシャツのどちらを着ようか迷った。でもそれは、迷ったように見えて、実は最初から答えは決まっていたはず。

ウエストワールドのシーズン1は哲学的で難解だった。私の理解した限りでは、結局アンドロイドと人間の決定的な違いは、作中で結論付けられていなかったと思う。きっと見る人によって、答えは違うかもしれない。
私は、ウエストワールドの世界でのアンドロイドと人間は、本質的には何も変わらないと感じた。共に自由意志がないのに、それを信じて生きている。だけど、それで何の問題もない。
ういろう

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