幽霊の気分

坂の途中の家の幽霊の気分のネタバレレビュー・内容・結末

坂の途中の家(2019年製作のドラマ)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

主人公は、3才の娘と年上の旦那を持つ専業主婦。物語は、主人公がとある裁判の補欠裁判員として選出された事から始まる。

その裁判は、主婦が生後8ヶ月の子供を湯船に落として死なせた事件を対象としている。主人公は、補欠裁判員として総計11回に及ぶ公判に参加し、他の裁判員と議論を交えながら、被告人と自身の境遇に共通点を見出していく。

主人公と、同じく子供を持つ裁判員の2人を除いて、大半の裁判員は被告人に対して否定的な見方を示す。被告人の主張は、実親や旦那からの精神的な暴力に追い詰められ、ノイローゼになった事が事件の原因だと言うものである。しかし、多くの裁判員はそれを他責的で無反省的な態度だと批判し、情状酌量の余地を認めない。

ではなぜ、主人公は被告人を擁護するような目線を持ったのか。それは、主人公もまた被告人同様に旦那や実親から精神的暴力を受けており、その事に、物語終盤でようやく気づく事ができたからである。


このドラマを通して浮かび上がるキーワードは「モラハラ」「想像力」「連鎖」の3つである。
モラハラは、ともすれば「善意」の名のもとに実行される事もあり、なかなかその悪意に周囲の人間はおろか、被害者自身も気づけない。「あなたの為に」という言葉を添えれば言葉の刃も正当化される、なんて事はない。しかし、誰も自分を擁護しない環境下でモラハラが継続されると、被害者はそのモラハラを「適切なアドバイス」として処理し、結果、自分が悪いという劣等感が植え付けられる。
モラハラは、時間が経過すればする程その効力が強まる。相手が劣等感を持ってくれると、その呪いはより強力になる。その点で、非常にタチが悪い関係病理である事が、本作を通して浮かび上がって来る。

また、本作では裁判員の1人が「子持ちもそうでない人も、互いを想像できれば上手くいくのかもね」と主人公に述べるシーンがある。モラハラとも絡んでくるが、本作の主人公と被告人は、周囲の想像力の無さによって苦しめられた側面は大きい。あなたの為にという文言は、自分の思い通りに相手を支配したい気持ちの裏返しでもある。しかし、その軽い気持ちで放った言葉は、言った本人は忘れてしまっても、受け取った側は呪いとして記憶に刻印されてしまうかもしれない。サポートという名の干渉で、相手を縛りつけてしまうかもしれない。そうした想像力を一人一人が持つことで、ある種の社会病理も穏やかになるのだろう。

そして、本作では縦の連鎖ー毒親もまた毒親に苦しめられていたーという繋がりが示唆されている。統計的に、幼い頃虐待を受けた人が親になったとき、同じように虐待してしまう確率が、そうでない
親よりも高い事が分かっている。そうした知見からも、親から子の遺伝ー連鎖ーとは容姿や知力という要素を超えた根深いものがあり、個人の資質を個人の責任のみに還元する事の難しさが現れている。連綿と紡がれた負のストーリーに区切りをつけることは容易ではないが、少なくとも、その運命に自覚的になる事。そこに、親から定められた人生とは異なる希望の道は開けている事が、本作を通して浮かび上がった。


終盤。裁判自体は主人公にとって少しだけ溜飲の下がる結末を迎え、旦那等の周囲との関係性の改善の兆しは少しだけ見えた。人によっては、その兆しに希望を見出すのかもしれない。
だが私の考えとして、人はそう簡単には変わらない。それが成人を過ぎて自我が固着した人間ならなおさらの話である。従って、主人公の女性にとって本作とは不幸の終幕ではなく、まだその中途であると私は見える。
だが本来、人生とは死ぬまで中途の道である。人間万事塞翁が馬。一時の幸不幸はその後の人生で容易に裏返され、過去の解釈は2転3転する。何が不幸で何が幸福か、そんな事は未来の筋書き1つでガラリと変わる。
そう思えば、不幸の中途を歩んでいく主人公の前途は幸福の中途とも言えるし、少なくとも、清濁合わさった「人生」を進む覚悟を持った事自体は、救いの物語であったと振り返られる。
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