さわだにわか

ツイン・ピークス:リミテッド・イベント・シリーズのさわだにわかのレビュー・感想・評価

5.0
まさかそう来るとは思わなかった衝撃のラストで喪失感でけぇ。顔にポッカリ穴があいてしまったような気分だ。心じゃなくて顔なんです。色んな人の顔に穴があくツイピシーズン3だったので。

これで終わりでも良いといえば良いか、と思うのはさながらデヴィッド・リンチ神話体系の如し様相を呈しており、これまでのシーズン(と映画版)を超えて全フィルモグラフィーを横断する総決算的な内容になっているのだが、過去作のひとつひとつを、その中で出会った人々の一人一人を(その中心人物がデヴィッド・ボウイだ)頭の中で辿りながら老境のリンチが逢着したのがあのラストの境地なのだろうというところがあるからで、御年74歳のリンチの目から見ればあの全てが変わってしまったアメリカが、もうどこにも居場所を見出せそうもない冷たくて退屈で見知らぬアメリカが、アメリカの夜を描き続けてきた映画作家としての孤独な終着点であったとしても不思議ではないからなのだ。

超越瞑想をしながら映画を撮ることで知られる(どんな知られ方だ)リンチはニューエイジかぶれの映画監督だが、瞑想から超能力まで種々雑多なニューエイジ実践の精神的基盤というべきトランスパーソナル心理学が、クーパーがこの全18エピソードで体験するものである。トラパー心理学というのはあれですよなんか仏教的な輪廻観とかを人間の発達モデルとして応用しようとしたやつですね。

赤ん坊の意識からスタートして大人の意識になり老人の意識になりそこで悟って宇宙との一体感とかなんとかみたいな個人を超えた意識を獲得するとそのトランスパーソナルな意識はまるで赤ん坊のように無垢! というわけで赤ん坊の意識に戻ってきて再び大人の階段を…というような精神の発達の色相環がトランスパーソナル心理学の基本的な考えで、意識を次のレベルに持ってくための精神の修行として瞑想とかが使われるが、今シーズンで瞑想捜査官クーパーはまさしくそのような意識の断続的な変化に呑み込まれる。

ユング心理学を源流の一つとするトランスパーソナル心理学はユングの「シャドウ」の理論も取り入れているので、「悪いクーパー」というのはクーパーが自分の意識をネクストステージに持っていくために倒すべきもう一人の自分ということになる。倒すというか、それも素直に自分の一部として認めるということ。そういうわけでシーズン2のラストで分裂してしまった「悪いクーパー」と「良いクーパー」が統合して「大人のクーパー」になることが今シーズンでは目指されるし、『ロスト・ハイウェイ』を彷彿とさせる荒涼としたラストエピソードはその内面的な変化をアメリカの変化として表現したものでありましょう。

そうしたミクロな視点とは別にマクロな視点も今シーズンでは導入されて、これまではよくわからんかった物語に宇宙規模のバックグラウンドを与えているが、その結果デヴィッド・リンチ・ユニバースが爆誕しており、おそらく今までは心象風景としてしか理解されてこなかったであろう(当たり前だが)リンチ作品の怪人たちが、そうかお前もあっちの世界の住人だったのか…と新しい装いで見えてくる。

ある出来事のせいでアメリカにはトランスアメリカな次元の穴が空いてしまった。その傷跡は今もアメリカの至る所に残っていて、炎や電気が目印となるその悪い場にたまたま近づいてしまったアメリカ人は啓示を得たりもう一人の自分を発見したり異次元の住人に肉体を乗っ取られたりする。
なぜ『イレイザーヘッド』の主人公が赤子殺しに走ったかといえば悪い場に触れてしまったからである。なぜ『ロスト・ハイウェイ』の主人公が衝動的に妻を殺してその記憶を失ってしまったかといえば悪い場に触れてしまったからである。なぜ『マルホランド・ドライブ』のダイナーの裏手には…とこんな風に、ある意味でリンチ映画版の『アベンジャーズ:エンドゲーム』と言えるのがこのツイピシーズン3なのだ。まぁ白石晃士作品とかで喩えてもいいですが…。

ってなわけでリンチ好きな人にはたまらない18エピソード18時間、リンチは自分でも自分で書いたシナリオの意味がよくわからないまま映画を撮るので見る方も意味がよくわからないが、その意味のわからないリンチ作品群の意味をついにリンチ自身が発見した! という感慨もあるし、もちろんツインピークスの住民たちとまた会えた(※映画版から数えても20年以上間が空いているにも関わらずこのオリジナルキャストの再集結っぷりはすごい。リンチの人徳を感じさせるところだ)という感慨もある。

リンチお得意の老人ジョークは本人が老境に達したことでいよいよ冴えを見せてもう一人で大爆笑。アホみたいに豪華なゲスト出演陣を探すのも忘れてはいけない楽しみの一つだし、突発的に挿入されるハードコアでアーティスティックな血みどろ肉体破壊の数々にも思わずうなる。にわかには信じられないデヴィッド・ボウイの追悼映像(それで追悼のつもりなのか!?)もサイコーである。マルチアーティストのリンチであるから映像表現の面では絵画や造形、FLASHアニメといったこれまで行ってきた様々なアート実践を取り入れた集大成にして最先端となっていて、もうリンチ祭り、右を見ても左を見てもリンチ、リンチ、リンチ! 解脱できます。

でもトランスパーソナル的には某カルト教祖みたいな最終解脱者というコンセプトはないわけですから解脱したら我々はまた赤ちゃんに戻ってしまいます。バブー。し、シーズン4を…リンチよ…死ぬ前に解脱赤ちゃんと化した我々にシーズン4のミルクをくれ…! やっぱあの終わり方キツイって…!
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