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ウォッチメンのgnspのレビュー・感想・評価

ウォッチメン(2019年製作のドラマ)
5.0
「誰が見張りを見張るのか」
あまりにも有名なフレーズだが、原典では「見張り」の対象を「スーパーヒーロー」に限定していたように思う。
この「見張り」をまず「警察」ひいては「権力」そのものにまで拡大させ、そして原典のヒーローたちを発刊から今までで生まれた価値観をもって問い直したのが今作。

現在語られるべき問題を物語の主軸に添えている故に説教臭くなりそうなところを、しっかりと「ヒーロー譚」として、そして「ウォッチメンの続編」として成立させていることで完璧に中和し、昇華している。

もともと「ヒーロー譚」を作るのもそれなりに腕が要るし、そこに現代的なテーマを入れるなら尚のこと、更にそれを「ウォッチメンの続編」として成り立たせるなんて。

とんでもない離れ業だ。


全回にそれぞれの良さがあるが、白眉は5,6話。
5話はトラウマに悩む男の苦闘。
原典では冷戦の恐怖という空想だったが、現代においてその恐怖は9.11として現実のものになっていて、それとともに生きていかなければならない人の苦しみ、そして何がそれを癒せるのか、癒されて人は変わるのか。
そういったテーマは根底にあるものの、まあとにかくルッキングラスが格好良すぎる。気持ちロールシャッハのアンタッチャブルさとナイトオウルの(まだ)常識人な所を併せ持ったような存在で、その分「苦悩」が濃く現れている。大好きなキャラクター。

6話は原典から更に「原点」に立ち返る回だが、まずもって演出が凄まじい。シナリオをシームレスに展開させてる省略表現も好きだし、違和感なく異物を紛れ込ませたり、途中で揺り戻したり。
虚しさと激情が交差する末に驚きの引き。そして密かに次回7話に回収される伏線を敷く巧みさ。素晴らしい回だった。


ここで自分は「もう残り3話は一気に見なければ」と確信して、急いでTSUTAYAに足を運んだのであった。


政治・陰謀劇としてもまた面白さがあった。
現実の「彼」は明らかなほど胡散臭めなネタとして出てきたと思っていたら、あれよあれよと大統領まで登りつめた。それすらもコメディアンが涙を流しそうな話だが、故に彼を「ジョーク」のように扱う人も少なからずいる。
しかし彼がニコニコしていて誰からも嫌われないような「人格者」のマスクを被っていたら?
また80年前の過ちが繰り返されるのか?

いや、あるいは既に。


しかし冷戦の、テロの、そしてイデオロギーの危機が訪れようと、それでも世界は終わりそうにない。

先人たちは確かに愚かだったが、彼らがその痛みを経験してくれたことによって、僕らは歴史に学ぶことができる。
しかし新たな危機の前には、愚かにも僕らは経験で学ぶ。
そしてそれがまた歴史となって受け継がれていく、未来の僕らに「愚かだった」と嘲笑われながら。
私たちは危機を迎える度々に崖っ淵で成長して乗り越えてきた。
その度に終末時計は「チクタク」と、12に近づいては離れていくのを繰り返した。

その危機の度々に現れる「ヒーロー」は、さまざまな思想を持つ我々の鏡なのかもしれない。
シスターナイト、ルッキングラス、ローリー、そしてロールシャッハ…原典も含めてほとんどのヒーローたちが特殊能力を持たないこの作品では、特にそれを感じる。
立ち上がった彼らの背後にいる私たちは、憧れ、妬み、憎しみを彼らにぶつけている。
しかし彼らが見張りなのであれば、また私たちもその役目を負うべきではないだろうか。
とりわけ「ヒーロー」がいないこの世では尚のことだ。


「ヒーロー」という言葉が意味付けする過剰な強さを矮小化させる物語であり、その小さくなった役目をひとりひとりに配るような、そんな物語でもある。
だってそうじゃん、青いおっさんとかいう超スーパーヒーローの前では誰でも凡人よ。
だったら俺たちもそれなりの「ヒーロー」になれるよ。


このカオスに満ちた現代で、私たちは「また」世界を救えるだろうか?
はたして、「誰が見張りを見張るのか」。

今語られるべき続編。
完璧なタイミングだ。嫌になるほどに。
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