撮影監督が思い思いに、こうあって欲しい有村架純のプライベートを想像し創造する異色作。
本人が本人役で出るのはなかなか難しそうだけれど、結局人前に立つ役者有村架純なんですよね。
絶対に自然体にはなれない。
普段からも世間が思う有村架純像に自分自身を寄せたりしてるのだろうか?(そんな描写は何回か出てきた)
素の自分、本当の自分をどこに置くべきか考えたりするのかな?
そう考えると役者稼業ってとても大変。
自分自身が分からなくなる可能性があるって想像するだけでも身震いする。
このドラマも撮影監督それぞれがこうであって欲しい有村架純、こうあったら面白い有村架純を勝手にイメージして撮ってる感じがして、 いい意味での陵辱を与えている感じがしました。
最終回のバッティングセンターでの、バットは振らなきゃ球に当たらないというのがフリクリっぽくて好きでした。
さて、有村架純と何回書いたでしょうか?笑