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僕らのままで/WE ARE WHO WE AREのBのレビュー・感想・評価

僕らのままで/WE ARE WHO WE ARE(2020年製作のドラマ)
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最終回の最後の場面を思い出すと涙ぐむ。

アイデンティティって、ものすごく個人的なものだっていうか、アイデンティティ構築とかどうとかって、そんなの悩んでる本人しか分かんないだろ。 何が社会の構造に問題があるだよ。そんなの当たり前すぎるだろ。当事者性って知ってますか。 結局浅いところの他者のアイデンティティの考察なんて、動物園のかわいいパンダと違うの? って思ってた。
登場人物みんな自分が何者かは分からない。パーソナルな問題に、もちろん社会の規範やみんな目を瞑っているグロテスクなことは急に、でもずっとそこに存在していたのが明らかになるだけだけど明らかになって襲いかかる。それでみんな傷つく。それでもみんな自分が何者か分ろうとする。分からないから分ろうとする。漸近線みたいに絶対に近づくことはないもの。
10代はもっと自分が分からないから混乱する。でもそれは大人になっても続くこと。別に悩むことは10代の特権ではないんだ。自分が分からないことを社会のせいにして考えることを放棄しては駄目なんだ。それでもエピソード5のクレジットにはトランプ当選のスピーチがべったりと放映される。そしてそれは契機となって子供たちには悲しいことが起こる。社会はいつだって最悪な方向に。私はsolider of loveの後にかかるliving with warの歌がかかる演出に心をポッキリと折られる。社会の規範のせいにしていたらダメ、でも社会に希望的観測もないことを知ってしまった10代の若者たち。この物語はどうやって終わるんだ。結末次第では、私はすごく落ち込んでしまいそう。
そしたら、愛している人を愛していると気づくことがこんなに素晴らしいことなんて。恋愛とか性愛とかを10代が超越するんだよ。自分のように悩み苦しみがむしゃらに生きている他者を愛する。他者を愛する、他者を愛する。知った気になるとかじゃない。相手に自分を投影するとかじゃない。素敵だ。自分の欠落は誰かに愛されることではなく、愛するという行為によって埋められていくものなんだ。
隣の人は自分が何者か分からないことに苦しんでいる。その苦しみとか複雑な彼女の様態は自分にはもっと分からないだろう。でも一番の理解者でいたいと思う。理解者っていうのは、複雑さを理解する。要素分析をしようとすることじゃない。複雑さを複雑なままに。迷い続けることをそのままに。一緒にあなたとグルグルしていたい。人のことなんてどうせ分からない。それはそう。それは悲しいことではなく、愛の発現装置だと教えてくれた。美しい。さすがすぎる。ていうか本当に隠れたところで一生懸命もがいている人間が素晴らしすぎる。見て良かったし、1番好きなドラマ♡
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