「好きを、つらぬけ。」なんて書いてるけど、誰が何を好きなんでしょうか。
全く伝わってきませんでしたが。
視聴率がどうとか円盤の枚数がどうとか、誰かを越えるとか越えないとか、結局ただのスポ根になってた気が。
アニメが誰かを救う、みたいな良い話げなやつは、かなりとってつけた感が出てしまっていて、
なぜなら、誰か救う話とアニメ制作が「好き」ってことは関係ないからでしょ。ロジカルじゃない。それらをただ並べてもつながらない。
そして、好きって結構、内省的で、
他人に何と言われようと自分が好きなんだからしょうがないじゃん、ってエゴも含めてたぶん尊いのに、
それを視聴率がどうとか、誰かを救うとか、他者の評価が軸になってる時点で信頼できない。
「俺の宇宙では音は鳴るんだよ!」でよくないかって話。
ここまでベタをやるなら、世間の評価や世間の存在自体も忘れて、とにかくこれを作りたい!
で、結果、周りも大絶賛、で良かった気が。
(でもそれだとこの企画のフックになってる「覇権うんぬん」が否定されてしまうからできない、要するにスタートの時点でテーマ選択が間違ってるんだって)
そもそも吉岡里帆がラストを直前で変えるのも、何を目的にどんな作品にしたいから変えたい、が見えなくて、何をやりたかったのかさっぱり伝わらないのは致命的だと思う。
表面的にはセリフで言ってたけど、その意味というかその内面というか、ロジックというか。
要するに、これはベタなお話で、お約束だから伝わるよね?ラストの盛り上がりとしてみんなの期待してることやります、ってことでいろいろ省いてセリフと結果だけ見せるのは、作り手の甘えというか全員浅はかというか。
みんな大好き実は◯◯でしたの登場人物とか、おにぎりとか、なんとなく感動げなエピソードを並べておけば観客は勝手に補完して感動してくれるでしょ、としか思えなかった。
自分の中で本作は「ROOKIES」と同じ箱に入る感じだったなぁ。
【追記】
コメントいただいたりで考えたこと。
結局、自分が見たい部分と省略していい部分の選択が、作り手と真逆という気がしていて、
円盤1位ってことは吉岡里帆たちの選択もがんばりも正しかった、感動するよね、と結果から導くのではなくて、
小野花梨や六角精児たちがどんな想いでどんな作業をしたか、を見せてくれるだけで、あと結果はどうでも良くて、
ラスト、ランキングの表を下から映してきて3位まできたらブチッて切ってエンドロール、見せない。
だったら、「ハケン」への批評性もあって好きになれたのに。