アッパーパンチ

百花のアッパーパンチのネタバレレビュー・内容・結末

百花(2022年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

忘れていくのは母親だけだと思っていたらイズミも忘れていた。コエだけが、全ての記憶を忘れずに「人間らしさ」を失った。忘れるということは自然の摂理、人間らしさを引き出すものだった。

わかるけど、「起承転結」の「転」で終わって行った感が拭えない。「半分の花火」を観てイズミの中に変化が出た瞬間にエンドロールが流れる。母親の過去も、コエも、全て中途半端で終わっていった。特にコエなんて母親との対比だけのために存在してた感ミエミエで、番宣で強調されていたにしては存在感が薄すぎた。

母親とイズミの関係性が泉の中に現れた「転」だけ映して終わって行ったのは、認知症の所謂タイムリミットを過ぎてからイズミが気づく、その遅すぎたリアル感を現しているのだろうか。やりきれない感だけが、私の心に残されいる。

ただ、認知症を身近に感じれたし、映画の空気感はとても好き。一輪挿しの理由も、半分の花火も、最後に第三者目線の2人が映し出されることで心に来るものがあった。