Sari

生れてはみたけれどのSariのレビュー・感想・評価

生れてはみたけれど(1932年製作の映画)
4.0
巨匠・小津安二郎監督が子供の視点から大人を描く笑いと風刺にあふれたサイレント映画。

この『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』が制作された前年の1931年は、五所平之助監督『マダムと女房』が日本初のトーキー映画として評判になった年。そのように先輩らが誇らしげにトーキーを手がけても、小津は技術的な制約の多いトーキーよりサイレント映画で、もっと面白いものを作ってみせるという自信を誇示しているかにみえる。

この映画は初めに、題名に続いて「大人の見る繪本」というタイトルが現れる。
ファースト・シーンは、引っ越し荷物を乗せたトラックが原っぱの窪地にのめり込んでエンストしている。吉井一家の父、母、兄弟2人が郊外の新築の家に引っ越しして来た。父・吉井は何をおいてもまず、近くの専務・岩崎のところへ挨拶にいく。重役と社員の差をまざまざと見せつけるシーン。
いかにも郊外らしく、一面の空地で近所の子どもたちが一団となって遊び回っている。
餓鬼大将と子分の子どもたちが忍術もどきの遊びをしていたところ、新入りの吉井兄弟、特に弟のほうが「バイキンみたいな顔してらあ」と言われてイジメに合う。

前半、自由闊達な子どものユーモラスなやり取りで軽妙に運ばれていくが、後半映写会のくだりに来て、大人の世界の矛盾をつく子どもの純心な言葉で、辛辣な社会批判に一変する。不況のさなか、保身と出世に汲󠄀々としているサラリーマンの淡々とした日常スケッチの末に、最も痛いところに切り込んだ小市民映画の傑作である。

遊び回る子どもたちの一人が背中につけている「オナカヲコワイテヰマスカラ...」という札と言い、酒屋の小僧の書く「甲」の文字の代わりに「申」という字と言い、突貫小僧が何かにつけて繰り返す両手を広げ片脚を曲げたひょうきんな仕草と言い、台詞なしで存分に笑わせるサイレント映画独特の面白さを発揮している。子役・突貫小僧(本名・青木富夫)のベテラン俳優顔負けの名演技が素晴らしい。
Sari

Sari