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雪夫人絵図のSariのレビュー・感想・評価

雪夫人絵図(1950年製作の映画)
4.0
舟橋聖一原作小説を、滝村プロの滝村和男が製作、溝口健二が監督した作品である。

旧華族出身の女性の悲劇を描くメロドラマであり、溝口監督に多大なる影響を受けたジャン=リュック・ゴダールが“残酷なみずみずしさがある”と湛えた作品である。
(※旧華族とは、1869年(明治2年)から1947年(昭和22年)まで存在した近代日本の貴族階級のことである。)

旧華族の主人公・雪は、直之と結婚したが、直之は女遊びに明け暮れる放蕩者であり、雪を熱海に置いて自由気ままに振る舞っていた。雪は幼馴染の方哉と心のつながりがあったが、直之と離婚して方哉と一緒になる決心をすることができない。雪は方哉への心の想いと直之への肉体的な欲望の間で揺れ動く女の性を、雪婦人に憧れを抱いていた清純な娘浜子を登場させることによって、それぞれの複雑な関係を描いている。

木暮美千代演じる主人公の妖艶で悲しみに満ちた演技は観る者を引き込むと同時に苛々させ嫌悪感を抱く人も居るかも知れない。女性の性をリアリズム的に捉える溝口監督の視点はフェミニズムの先駆と言え、当時の世の中の風潮や家父長制社会といった日本の旧態依然とした価値観には早すぎる視点だったのかも知れない。
戦後という時代の変化によって民主主義の時代が到来すると、雪は地位を失い離婚も可能になる。彼女は現在の生活に耐えられず、方哉にも自立するよう促されるが、彼女自身にその覚悟が足りないことが最大の問題。彼女は心と肉体が分離してしまっており、心では夫を憎み別れたいと思っていながらも、肉体は夫に支配されている。彼女は肉欲の誘惑にいつも負けてしまうが、深層心理では自立することへの恐怖が働いているように見える。
「女の体の中には魔物が棲んでいるの。心で拒んでも体で受け入れてしまう」と語る主人公のこの言葉から早くも結末が予見される。女性の情念と欲望も見事に映像化されており、旧華族の令嬢が破滅に向かっていく悲哀や、美しいものが醜悪なものに踏み潰されていく様子が悲しくも美しく描かれている。

さらに、小原譲治によるモノクロームの光と影の美しい映像も作品の見どころである。
熱海の海や日本家屋、箱根の芦ノ湖と洋風建築の美しさは圧巻で、特に芦ノ湖の上に浮かぶ雲の合間からのぞく月のシーンは圧倒的な印象を残す。

◾️
原作は雑誌『小説新潮』に連載された舟橋聖一の小説『雪夫人絵図』で、これを溝口健二監督が、「わが恋は燃えぬ」に次ぐ作品として取りあげたものである。製作は、滝村プロと新東宝との提携による滝村和男で、脚色は「わが恋は燃えぬ」の依田義賢と舟橋和郎と共同脚色、撮影は、「宗方姉妹」の小原譲治が担当している。配役は雪夫人に「執行猶予」の木暮実千代、浜子を「不良少女(1949)」「午前零時の出獄(1950)」の久我美子、菊中方哉を「宗方姉妹」の上原謙、直之を新派の柳永二郎、その他は浜田百合子、夏川静江、山村聡などの中堅である。
(映画.comより)
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