あずきつ

グリッドマン ユニバースのあずきつのネタバレレビュー・内容・結末

グリッドマン ユニバース(2023年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

特盛のファンサービスに包まれながらも、IPが埋め尽くすエンターテインメント業界への挑戦を示唆する作品!

私が思う雨宮監督作品の魅力は、エンターテインメントを商品と捉えた作品づくり、そしてその中に忍ばせた奥行きのある物語です。
エンタメを商品として生み出す時、クリエイターは既存のIPで新たな物語を生み出す難しさと相対せざるを得ません。ディズニーも、スターウォーズも「これは私の知ってる○○じゃない」という批判に晒されてきました。グリッドマンも30年前の特撮版を原点に様々な作品が生み出され、その中でファンから「これは私の知ってるグリッドマンではない」という批判を受けたことかと思います。

現実でのグリッドマンというIPの興隆を示すかのように、作中でもグリッドマンユニバースが拡大していきますが、辛うじてその形を保っていると語られます。数多く生み出された作品によって「グリッドマンとは何なのか」が不明確になってしまったと主張しているように感じてなりません。そしてそれは紛れもなく『SSSS.GRIDMAN』がきっかけなのです。作中と現実がリンクする巧妙な作り。

二代目によって「本来グリッドマンは形を持たないエネルギーで、そこに人間がフォルムを与えた」と説明されていますが、もしかしたら雨宮監督自身、『SSSS.GRIDMAN』で最後に裕太の心をないものとし、特撮版の電光超人グリッドマンを”本来の姿”としたのに思い残すことがあったのではないでしょうか。
では、グリッドマンとは本来何なのか?雨宮監督のアンサーは繰り返し提示される「ビー玉」に委ねられているように感じます。かつて新条アカネの作り出す怪獣の中心にあったもの、そして裕太がずっと大切にし続けるもの…。私が思うに、グリッドマンは「心」なのです。

グリッドマンを「心」を象徴するヒーロー(Universe Fighter)として再定義すると、自らを縛り付けていた「グリッドマンはこういうものだ」と決めつける怪獣に挑みます。
今回のラスボス怪獣は雨宮監督によるデザインです。パンフレットの中でも怪獣のデザインを語る中で「僕によるグリッドマンの私物化が進んでいるので」と述べています。『SSSS.GRIDMAN』の中で心をテーマにしたにも関わらず、主人公の本当の心を描かなかった。そしてファンサービスといえど、電光超人の姿を本当のグリッドマンとしてしまった。それにより、続く作品は「結局は電脳世界の中の出来事であり、現実の自分たちに通じる物語ではない…」と、受け手に一線を引かれてしまった…。

本作は『SSSS.GRIDMAN』で監督自身が残した禍根と向き合い、グリッドマンの定義を改め、これまでの作品、そしてこれからの作品に自由を与えたのだと言えるでしょう。

自由を得たグリッドマンは怪獣に次々と新しいフォルムで挑み続けます。これってまさに、既存IPに新たな世界をもたらそうとする、創作そのもののことでしょう!
最後に怪獣を倒すのは、グリッドマンへの既成概念を破壊する創作のエネルギーと、心を修復するグリッドマン本来の資質です。これの繰り返しによって、無限に付き纏うグリッドマンへの決めつけは綻びて消えていきます…。

雨宮監督は自身のSSSSシリーズをこの映画でクロスオーバーさせるにあたって、時代を超えて愛されるコンテンツに取り組む難しさに触れながら、その中で自身が生み出してしまったしがらみを解き、これから続くクリエイター達に無限の可能性を示そうとしたように感じられました。主題歌『uni-verse』の歌詞にはそのような側面がより一層、強調されているように聴こえます。

もちろん、ここまでつらつらと講釈垂れてきた内容を意識しなくても、楽しいアニメーションになっていることには間違いありません!監督の取り柄である、登場人物たちのロートーンでコミカルな絡みと、TRIGGERならではの200%のアクションが、最初から最後まで遊園地のように色とりどりな感情を与えてくれます。
劇場でこそ活きる、地上から見上げるようなアングルで展開される重量感のある戦闘シーンや、モリモリの変形合体の連続は興奮せずにはいられませんね!!

兎にも角にも、このように自由な拡大を許されたグリッドマンユニバースをここで終着点としてしまうのはひじょーーーに勿体無いです!!(個人的には雨宮監督の完全オリジナル作品を見たい気もあるけど、)これからもグリッドマンの世界を応援し続けたい!そんな気持ちにさせてくれる作品でした。
あずきつ

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