ユメナラサメテ

グリッドマン ユニバースのユメナラサメテのレビュー・感想・評価

グリッドマン ユニバース(2023年製作の映画)
5.0
物語は多少カオスなくらいが面白い。
そのことを実感させてくれた作品だ。

この映画は完成度という意味でいえば、最も“よくできた”作品ではないだろう。少なくとも整理され、要素を吟味して削ぎ落とした秩序だった物語表現とは、まったく異なる立ち位置にある。この作品は破綻しない程度に雑然としていて、あらゆる要素がふんだんに盛り込まれながらも、物語は猛然とひとつの流れに向かって突き進んでいく。前者が指揮者に統率された集団の美しさすら感じる行進のようなものだとすれば、後者は我先に誰より盛んにと周囲とぶつかり蹴散らし合いながら参道を駆けていく神輿行列のようなものだ。それくらい違うが、喧嘩神輿の行列も、それはそれで面白いものである。

この作品の物語を一言でまとめれば「(グリッドマンの)あらゆる物語の可能性を開く」というものだろう。本作は監督・雨宮哲のなかにある「自分だけのもの(私物であり閉じられた完成物)にしておきたい」というグリッドマンへの愛着を自ら粉砕し、グリッドマンのユニバースを未来へつなげるために作られた、一種のバトンである。
本作の敵は雨宮哲自身であり、「ビューティフル・ドリーマー」をほうふつさせる学園祭は雨宮哲自身がグリッドマンを永遠に自分の閉じた世界に置いておきたいという欲望とリンクする。

そして、その欲望を粉砕する希望は雨宮以外のクリエイターやファンが示した(そして、これから示すであろう)想像のなかにある、というメッセージが、本作の終盤で提示される世界観や引用されるコミカライズ作品のコマなどを通じて語られていく。
グリッドマンの物語では想像されるあらゆることが可能であるという雨宮のメッセージは、バトルの結末や学園祭で“必ずしも観客ウケはよくなくとも六花たちが作りたかった台本に基づく劇が上演される”という描写はもちろん、この映画のカオスさ詰め込みの多さという一見すると「東映漫画まつり的ファンサービス」に見える内容を通じても表現される。
お祭り映画が必然的にもつカオスと、ユニバース・マルチバース作品の構造を「クリエイターと作品の関係」という軸を築くことによって一見強引だが見事にまとめ上げるその発想と手腕には、驚かされた。
その意味で、この作品は突出した魅力をもつ作品として最高スコアをつけさせてもらう。
ユメナラサメテ

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