ナンセンスを極めた『ブラッシュアップライフ』。
「冴えない女性のありえたかもしれない別の人生」を通して「身近な関係性の葛藤やありがたみ」を「コメディ系出身の男性脚本家」が描くという共通点だらけで驚く。
アイフルの『愛がいちばん。』の大地真央もそうだけど、「なんにでもなれるからこそ自分がわからなくなる」時代なんだろう。
カオスもやりきれば感動に変わる、と『スイスアーミーマン』以上に感じたし、新しい映画を観ているという感覚がすごくあって、評価したオスカーも偉い。
「最低の人生だから、できることしかない」のようなセリフがすごく刺さって、やっぱりHow to sayがとことんカオスな作品だからこそ、What to sayの土台がしっかりしてるのが大事なんだなと思う。
「辛いときこそ優しくあれ」という終盤のくだりはバンクシーの「Love is in the Air」を連想しながら観ていたけど、Part2まで「?」だらけだからこそ、全てが整合しあうPart3(All At Once)での感動が生まれているように思う。
結局、『レミーのおいしいレストラン』のアライグマも、『花様年華』も、ソーセージの手も、すべてはマクガフィンでしかなくて、ストーリーの流れに組み込まれれば感動の素材になるんだなぁというのが、感心する部分でもあり、少し残念に感じる部分でもある。馬鹿馬鹿しいフリがあるほど感動するということなんだろうけど、必然性がなさすぎるというか、なんでもいいじゃん!って思ってしまった。
「突飛な行動をするとバースジャンプできる」という設定がキーだけど、後半は指示ではなくて自らの意思でやっていたから、観客を笑わせるために作られた演出だなぁというのをどこかで感じながら観てしまった。
大人が肛門に物を入れようと真剣に争っている映画という時点ですごく面白いと思うし、それこそが争いの馬鹿馬鹿しさという作品の根幹とつながっているんだけど、あまりにもなんでもありだから何度も置いて行かれそうになった。親子の石の会話とかたしかに感動したけど。
好きだったのは、ミニマムな舞台の中で壮大に見せるためのアートディレクション。ファッション(ゴーグルやインカム)もそうだけど、ベーグルの適度なチープさ、回転するようなトランジション、超高速モンタージュなどなど、MCUではなかなかない「生活に根差した近未来」の違和感がよかった。
あとはどうしても「理解ある彼くん」である夫の視点で観てしまって、家族から無視され続けた上に「あなたと結婚しなければもっといい人生だった」とか言われるのあまりにもきついし、別の最高の人生においても脇役のようになってしまっていて、それなのに最後まで家族のためにダサくても動き続けるのかっこいいと思った。彼を主人公にした物語を自分なら描きたいと思う。