マルチバース的世界観に苛まれた現代に生きる凡人達へ、希望の種を蒔く作品。
『スイス・アーミー・マン』撮ったダニエルズの監督作が、アカデミー7冠だと?嘘だろ?と思いながら、ようやく鑑賞。
中盤までは「1」、終盤が「5」
ダニエルズらしいとは思うけど、ナニコレ。
中盤までは本当にしんどくて、途中退席も理解出来るクソな出来。でも、我慢して観て欲しい。クソの対局、その反動に感動がある。
自己認識も対人関係も人生構築も、最底辺の主人公の描写に、トンデモマルチバースネタをぶち込んで来るうえに、B級レベルのカンフーアクションを見せられ、正直ナニコレ?となる。何でこの作品がアカデミー受賞なのか、さっぱり理解できないまま、それでも話は少しずつ前へ。
風向きが変わり始めたのは、Part1「Everything」を苦痛のまま終え、Part2「Everywhere」の終盤、岩の姿で語り合うシーン。
この辺から、ようやく下地が整い、理解と共感が湧いてくる。
クソのような人生、クソ愚かで小さな自分の存在、地動説や異端審問もろもろ、新たな発見の度に自己の愚かさに気づく人類の歴史、今またマルチバースに直面して右往左往。それはそのまま、現代に生きるクソな我々の姿。
まさしく"fuck"な世界。
その絶望と諦観に抗うのは、「優しさ」であり「楽観」さ。敵対でも悲観でもなく。
そういう意味で、最も強かったのは、全てを知ったうえで「今」を生きる選択をしていた夫。
そして、絶望に苛まれながら、それでも母の与えてくれるかもしれない希望と可能性に期待していた娘。
世界は今までになく近くなり、平和で自由であるはずなのに、何故か史上最も自己肯定感の低い現代に、何を支えに生きるべきなのか。ハチャメチャやりつつ、最後には一つの解答を提示してくれる作品。
目の前の他者、家族、そしてその中で生きる自分への惜しみない「愛」。金でも保身でも自己実現でもなく、今を受け入れ、生きること。
…それでも、アナルプラグやディルドー飛び交う今作が、アカデミー作品賞はじめ7冠とは。
ポリコレやチャイナマネーの圧力も感じつつ。
現代の闇は深い。