もう留年

夏へのトンネル、さよならの出口のもう留年のレビュー・感想・評価

4.1
ふと見た映画。初めはこの系統の少し強引な設定だな。その程度の入り口だった。特に花城が、浦島トンネルに着いてきてしまった時の繋ぎが荒いとかそうしたら雑音に気を取られてしまう前半であった。徐々にお互いの目的が明かされ、二人の恋愛感情を絡めてトンネルという題材をうまく出汁に、主題をからめていた。正直原作を見たわけではないので色々端折られてはいるのだと想像する。展開もわかりやすく、この映画を一言で言うなら「ニートが社会復帰する話」とでも言えるとさえ感じた。が私が言いたかったのはそんなところではない。この映画のテーマ、そしてそれに連なる私たちへの問いかけである。私は今社会に出ようとしており、人生の方針を、舵を切らなければならない、切りたい、切ろうとしている、そんな時節の自身にとって、「特別な才能が欲しい」という花城の願いは大きく響いた。今あるある程度見えたレールに乗って、世間から見たら成功した人間になることは正直このままいけば達成できる。だがしかしいわゆるトップになることは諦める、と言っても過言ではない選択となる。私は自身に自信がある。それゆえにトップになることを目指したならばある一定の確率において成し遂げる根拠のない不確かな自信がある。どうせできないと諦めれたら人生について考えなくて楽なのになとさえ思ってしまうほどの傲慢さである。そんな傲慢な私は失敗することを恐れるビビりでもある。ここまで選択をあと伸ばしにすることで考えることをやめていた。全てを捨てる覚悟。そうしたところにこの映画の良さがある。ただ、何かを失えばそうした覚悟ができると言うのも理解できるが、私は大変幸運なことに正直そこまで大きなものをまだ失っていない。また失うことが容易に想像できるものに対して平素から少しずつ失う想像もしている。おそらくそれ故に想像もできなかったダメージには打たれ弱いのかもしれない。失わずに特別なユニークなオリジナルな存在にはなれないのだろうか。どんな存在になろうとそれを誇りに楽しむことができるし、すべての人のすべての選択に敬意を示すつもりすらある。ただこれだけは自分自身に課したい。常に考えることを。自分が何になりたくそのために何を行い、どう努力するか。無意に日々を過ごすことは楽かもしれないが、自身を高める努力ほど素晴らしいものはない。手始めに何からしようか。筋トレを一旦一ヶ月してみようか。一ヶ月後また文字にしよう。これが私の生きた証だ。
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